(8月3日午前・記)
ゴーギャンのD'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?にあるように「D'où venons-nous ?われわれはどこから来たのか」って、永遠のロマンあふれる問いかけでしょうね。先日、地元紙の北日本新聞で小竹貝塚の人骨が短期間だけ公開されるという記事を読み、
8月2日(土)に
北代縄文館に行ってきた。
小竹貝塚は呉羽丘陵にある縄文前期(約6000~5000年前)の貝塚遺跡。ここ、当時は海岸沿いだったんですね。平成20年10月にここで2体の人骨を発掘。今回はその
1号人骨(頭部)が展示されている。アップした
写真の左がそれです。
頭骨最大長(頭の前後頸径)=165mm、頭骨最大幅(頭の横幅)=137mm、顔高(鼻の付け根から下顎の下端まで)=約105mm。性別は女。なぜそれがわかるか。額の状態が「直立」、眉間の隆起の発達が「弱」、前頭結節の発達が「強」、乳様突起が「小」、頂平面筋付着部粗面が「弱」、ってのが、「女」になるそうです。知りませんでした、頭骨にそんな男女差があるなんて。1号頭骨は「額が直立」「眉間の隆起の発達が弱い」などの点から「
女性」と判定。また歯の磨り減り具合などから「
成人(40~60歳以上)」と判定。
では1号はどこからきたのか。
溝口優司(国立科学博物館名誉研究員)の「縄文時代人の祖先の日本列島への移住・拡散概念図」によると、東南アジア後期更新世人類が北上し、中国の安陽を経て北上し、その後は南下して北海道→東北→北陸へ。小竹貝塚の集団は「北方系(北回り)」ということになる。僕は8月1日の富山国際学院の遠足で菅沼の地元の人に、「日本語が上手な外国人だと思ってた」って言われましたが(激爆)、遥か遠い祖先はこの1号人骨さんかもしれん。アフリカのミトコンドリア・イブからここまで、膨大な時の流れ、幾世代もの生の営み。
アップした
写真、居合わせた方に撮っていただきました。写真アップ&ブログ記事は北代縄文館の係員の許可を得ています。
(注)本記事は
北代縄文館発行資料を参考にさせていただきました。なお、人骨の公開は8月3日で終了です。