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『都立朝鮮人学校の日本人教師―1950-1955』『茨木のり子詩集』『唐物の文化史』

『都立朝鮮人学校の日本人教師―1950-1955』『茨木のり子詩集』『唐物の文化史』_f0030155_12301233.jpg梶井陟
『都立朝鮮人学校の日本人教師―1950-1955』

2014年3月14日 第1刷
岩波書店(岩波現代文庫)
1240円+税
谷川俊太郎選
『茨木のり子詩集』

2014年3月25日 第2刷
岩波書店(岩波文庫)
700円+税
河添房江
『唐物の文化史―舶来品からみた日本』

2014年3月30日 第1刷
岩波書店(岩波新書)
880円+税

富山大学梶井陟(かじい・のぼる1927-88)という教官がいるのを知ったのは30代で富山にUターンして間もなくだろうか。私立大学なら「朝鮮コース」があっても不思議ではないが、ともかく、あの当時(も今も?)「朝鮮」という言葉は一定の価値観のようなものを付されていた中で、国立の富山大学は当時も今も「朝鮮語・朝鮮文化コース」である。梶井を始め藤本幸夫、和田ひろ美といったすばらしい教官がそこでは輩出。梶井は残念ながら1988年9月9日ご逝去。61歳の若さだった。
本書、親本は1966年1月に日本朝鮮研究所より刊行の『朝鮮人学校の日本人教師』。その後、1974年1月に亜紀書房より同タイトルで刊行。
「都立」朝鮮人学校があったなんて、今や僕を含め一般庶民には想像外のことでしょうね。「朝鮮人の子どもたちにも日本人の子どもたちと同じように学ぶ権利がある」(帯より)-外国につながる子どもたちの高校進学に微力を尽くしている身には、ガツンと来る言葉です。

「現代詩の長女」茨木のり子(いばらき・のりこ1926-2006)の代表作は「わたしが一番きれいだったとき」でしょうね。ただ一般に「有名」になったのは、彼女の凛とした作品である「自分の感受性くらい」「時代おくれ」「倚りかからず」かも。新聞のコラムなどで紹介され、そのことがいいことか悪いことか僕にはわからないが、「詩」が人生の指針になった感じがした。中国では「詩は志の之くところ」だったそうだから、茨木のそのような享受のされ方もむべなるかな、かもしれない。
本書で初めて知った長編詩「りゅうりゅぇんの物語」は衝撃。
本書、大岡信との対談「美しい言葉を求めて」、所収。
茨木のり子が岩波文庫に入る時代になったんですねぇ。

『唐物の文化史―舶来品からみた日本』は書評を読んで買おうと思った。
「唐物とは・・・広く異国からの舶来品全般を総称するもの」(「はじめに」)。「読者の皆さんには・・・舶来品をつねに受け入れつつ形成された日本文化の歴史とはいったい何であったのか考えるきっかけとしていただければ幸いである」(「はじめに」)。
本書の魅力の一つは「権威と富の表象としての唐物のあり方」を「キーパーソン」を通じて叙述する点であろう。聖武天皇・藤原道長・平清盛・奥州平泉氏・徳川吉宗などの項も興味深いが、とりわけ、バサラ大名・佐々木道誉の項(第五章 茶の湯と天下人)は、日本人の在りようにについて深く考えさせられる。
河添房江(かわぞえ・ふさえ)は本書で初めて知りました。1953年生まれ、専攻は「平安文学・平安文化」、現職は東京学芸大学教授・一橋大学院連携教授。
by tiaokumura | 2014-05-25 12:30 | | Comments(0)


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