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瀬名秀明さん「一度も会えなかった藤子・F・不二雄先生が、ぼくに教えてくれたこと」

瀬名秀明さん「一度も会えなかった藤子・F・不二雄先生が、ぼくに教えてくれたこと」_f0030155_13424121.jpg(5月18日午後・記)
今、高志の国文学館で企画展
まんが家 藤子・F・不二雄のSF(すこし・ふしぎ)
が開催中(6月2日まで)。関連イベントもいくつかあって、僕はそのうちの3つに参加申し込み。5月17日(土)、その3つめになる、
瀬名秀明さん「一度も会えなかった藤子・F・不二雄先生が、ぼくに教えてくれたこと」
の講演を聞いてきた。
僕はもう40代になってたが、瀬名秀明『パラサイト・イヴ』を読んだ時の衝撃は、中高校生の頃に『友情』『こゝろ』『阿部一族』『山月記』などを読んだ時に受けた「衝撃」と匹敵した。映画『パラサイト・イヴ』(葉月里緒菜って今どうしてんでしょうね)も観たし、2作目の小説『BRAIN VALLEY』も読んだ。小松左京や星新一は既にいたが、瀬名秀明(せな・ひであき1968-)は本格的な理系小説家の嚆矢じゃないかしらん。
僕はほぼ無縁世代だが、40代以下には分厚い「ドラえもん世代」「コロコロコミック世代」がいて、しかもある区切りの年代ごとにその思い入れのありようや思い出のシーンが異なっているんじゃないかなあ。日本の漫画文化はすばらしい。『ドラえもん』、今度アメリカでアニメ放映されるそうですよね。

瀬名さんのパワーポイントも使ったお話は、藤子・F・不二雄漫画との出会い、「こんなF先生がすばらしい」、「F先生に教えてもらったこと、ずっと残るであろう難しさ」などといった構成でした。
瀬名さんの講演会、以下、当日のメモから。文責・奥村。「藤子・F・不二雄」は「F先生」と略させていただく。
①仕事場に「藤子・F・不二雄全集」115巻+αを置いている。「毎日それを眺めながら未来への想像力と創造力について執筆している」(リーフレットより引用)。小説『八月の博物館』(2000年)はF先生に捧げている。『のび太と鉄人兵団』(2011年)は小学館・藤子プロ公認のドラえもんノベライズ。書き上げるのに7週間かかった。
②小学館の学年雑誌を読んで『ドラえもん』と出会った。小学4年の時に「コロコロコミック」が創刊。100号(パーマンが表紙)まで全号購入していた。
③中学1年の時、父親の仕事の関係でアメリカ暮らし。本屋が「コロコロコミック」「マンガ少年」を船便で送ってくれていた。
④寺田ヒロオ『「漫画少年」史』(1981)を知り、寺田先生にその本がほしいと手紙を書いた。先生からお返事が来て、その本と『背番号ゼロ』をいただいた。
⑤F先生のアシスタントになりたいと思った。「ひみつ道具発明大会」に応募し、佳作入選。
⑥高校時代は青年まんが誌「スーパーアクション」「コミックトム」でF先生の漫画を読んでいた。
⑦NHKの「課外授業 ようこそ先輩」に出演。母校の小学5年3組の30名が対象。静岡県にある「奇石博物館」で授業。F先生「恐竜のお話を書くなら、恐竜博士になりなさい」は、私の生涯の教えとなりました。ただ、この名言は全集などのどこにも見当たらず、私の幻かもしれない。
⑧「こんなF先生がすごい ダイナミズム編」。大長編になると構図や間合いが冴え渡る!
⑨「こんなF先生がすごい ギャグ編」。抜群のコスチュームセンス!
⑩F先生の成熟。『海の王子』がエポックメイキングだったのではないだろうか。「『藤子・F・不二雄が描かなくなったら向上した』と言われたらうれしい」というF先生の発言の真意・意味はなんだろう。
⑪「すこしふしぎ」の感性をF先生から学んだ。国内外の黄金期SF・ホラー短篇を読むきっかけに。エンターテイメントの素養を教えてくれたF先生。
⑫「こんなF先生がすごい」。ハードSF的アイデアの数々。
⑬ノベライズ『のび太と鉄人兵団』のこと。ドラえもんの公式ノベライズ。原稿用紙480枚。対象年齢は14歳(ルビは小学5年生以上)。ストーリー、セリフはF先生の原作に忠実に。小説としての読み応えを追求する。
⑭『二人で少年漫画ばかり描いてきた』(1977)。F先生「四十三歳、デビューして二十六年。もっと何か、おもしろいまんがが描きたいと思い続けています。夢に終わるかもしれないけれど、その夢が僕らを支えているのです。」。
⑮F先生が一度大長編で描きたかったかもしれないのは、ギリシャ・ローマでは。次に描きたかった物語は、『落窪物語』、ジョン・バッカン『魔法のつえ』。
⑯F先生「子どものころ、僕は”のび太”でした」が本当に意味するものは?
⑰「F先生に教えてもらったこと、ずっと残るであろう難しさ」。子どものときに培った正しい心、まっすぐな向上心、普遍的な好奇心。子どものとき見たドラえもんが、その人にとっての「本当のドラえもん」であり、故郷とドラえもんの記憶はつながってゆく。晩年、代筆させたF先生、「自分がいなくなった後の藤子プロ」のクオリティを気にかけたF先生、いったい”作家”とはなんだろう?

講演のあと、サイン会。
この間のブログ記事を学芸員が読んだわけではないでしょうが(こちらの記事)、今回は講演のリーフレット、用意されていました。アップした写真、それです。
by tiaokumura | 2014-05-17 13:42 | 富山 | Comments(0)


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