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記録映画『公害原論 1974』上映会+向井嘉之「イタイイタイ病報道を振り返って」

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(10月15日朝・記)
10月14日(月・体育の日)昼前、富山大和デパート地下食品売り場(いわゆる「デパ地下」)の「チーズ王国」でゴーダチーズ200g、「ドンク」でバゲットなど。買い物を済ませ、さて、昼食、どこで食べようか。デパート内のレストランは混んでいそうなので、館外に出る。総曲輪の末広軒本店にする。勤務先の近くに末広軒の支店があり、1週間に1回(主に木曜か金曜)食べにいっていた。ところがある日、「忌中」の張り紙。それからしばらく経って「店主逝去のため閉店いたします」の張り紙。外食に悩みのある僕には貴重な外食先の1店だったので残念。店主ご夫婦だったんでしょうね、立居振舞のきびきびした従業員のお二人、とってもいい印象だったのに。
末広軒本店。うなぎの寝床のような造りの店。入店してビックリ。富山国際学院卒業生のMさん(男性)が働いている。別の学院生Mさん(女性)が働いていたのは知っていたが、彼が働いているのは知らなかった。ワンタンメン(小)を食べる。

1時過ぎ、フォルツァ総曲輪。窓口で『今日子と修一の場合』の上映予定について聞いたら、上映日は未定ではあるが確かに上映するとのことだった。
午後1時半、主催者あいさつの後、上映。
記録映画『公害原論 1974』
製作:青林舎
監督:前田勝弘
監修・構成・解説:宇井純
映画では、足尾、岐阜・荒田川、富山・イタイイタイ病、四日市、沼津・三島、九州・豊前、水俣など、「公害先進国」日本が告発される。宇井純(うい・じゅん1932-2006)は当時東京大学助手。1970年から東京大学工学部で公開自主講座「公害原論」を開講。1986年から沖縄大学法経学部教授。
上映会の後、向井嘉之さんのトーク「イタイイタイ病報道を振り返って」。丁寧なレジュメと貴重な体験談。富山県での初の鉱毒報道は1896(明治29)年の「北陸政論」だそうです。だが「発表ジャーナリズム」という姿勢にあっては健康被害報道を伝えることは長い間皆無で、ようやく1966年以降、「イタイイタイ病報道本格期」となる。向井さんは「地域メディアの心すべきこと」として「地域社会の構成員として、重層構造(しがらみ)の中でどう生きるか」と問題提起。トークの最後には向井さんが堀田善衞(ほった・よしえ1918-98)に言われた「国家は監視されるべきものだ。地方は育成されるべきものだ」を引用された。原発と公害は相似形であるとも。

こういうイベントではたいがい知った人に出会う。今回は、伊藤厚志さん・宮崎さゆりさんにお会いした。
by tiaokumura | 2013-10-14 13:17 | 富山 | Comments(0)


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