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ディオニュソス

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(8月29日夜・記)
演劇にはド素人だが、鈴木忠志の『ディオニュソス』はぜひ一度観たいと思っていた。今回、8月25日(日)、念願が叶った。

SCOT
ディオニュソス』@利賀大山房
演出:鈴木忠志
原作:エウリピデス
俳優:新堀清純(テーバイの王・ペンテウス) 内藤千恵子(ペンテウスの母・アガウエ) 嶌森皓祐(ペンテウスの祖父・カドモス) ディオニュソス教の僧侶(竹森陽一 他) ディオニュソス教の信女(齋藤真紀 他)
音楽:『バーントガーデン』『納曽利』『破ノ舞』『廻向』『Vertical Time Study Ⅲ』

原作はエウリピデス『バッコスの信女』(松平千秋・訳)。鈴木は「ディオニュソス神は、神それ自体として存在していたのではなく、むしろ他者をまき込むことを必要とする集団に存在し、人々を精神的に統制しようという集団の意志が、『ディオニュソス』という”物語”を創造したのだ」と解釈する(『鈴木忠志 演出・台本集 Ⅰ』p123)。したがって、「デイオニュソスとペンテウスの葛藤は、神と人間との争いではない。宗教団体と政治的権威との論争であり、同じ地平に存在する二つの集団的価値体系がくり広げる闘争のドラマである」(同書p123)。
初演は1990年3月(ただし『バッコスの信女』としては1978年初演)。演劇が何かの指針になる必要はないが、オウムや9.11や福島原発を思うと、鈴木が現代社会の地平を的確に射程距離に収めていることがうかがえる。

息子殺しをしたアガウエは歎きの内に国を去る。
ディオニュソスさまはわたしら一族に、ほんとにむごい仕打ちをなさったものでございます。今はただ、忌わしいキタイロンの山の姿の見えぬところ、奉納の霊杖が悲しい思い出を誘うことのないところへゆきたいと願うのみ。そのようなものはほかの信女らが、崇めたければ、勝手に崇めるがよい。(同書p175)
だが、ディオニュソス神はそのような呪詛にもなんら傷つきも弱りもしない。
人間の分際を弁えず、神なるわれらに逆らい、供物も捧げず、祈ろうともせぬものらことごとくに、わが神の本体を示してやらねばならぬ。ここを首尾よく仕終えたならば、また他の国に移り、神威を知らせてやるのじゃ。(同書pp175-176)
「遠くを見つめて立ち尽くすカドモス」(同書p177)の諦観にも似たセリフで舞台は終わる。
神意はさまざまの姿をとりて、顕われ、/神々はさまざまの思いもよらぬことを遂げたもう。/思い設けしことは成らずして、/思い設けぬことを神は成らしめたもう、/かくぞ過ぎぬ、今日のことも。(同書p177)

終演後、利賀大山房前から富山駅北口行きのバスがあり、それを利用。なんと、無料だった!

来年のSCOT、また行きたいが、どうかなあ。
by tiaokumura | 2013-08-25 13:19 | 富山 | Comments(0)


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