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あの日あの時、この海が・・・

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(7月17日朝・記)
7月13日(土)
夕方、大川小学校を後にして南三陸町平成の森に入る。平成の森仮設住宅自治会長の畠山さんのお話を聞く。畠山さんは「団塊の世代」。わがままで頭でっかちで打たれ弱いと揶揄されがちな団塊の世代ではあるが、畠山さんは団塊の世代の長所である行動力・組織力・構想力に長けた方なんでしょうね。お話を聞いてるとさまざまな困難・絶望があったでしょうが、柔らかな口調でたんたんと語られた。街並みが地震ではなく津波ですべて破壊されたこと、陸の孤島と化した中で3日目にサッカー場に石灰でSOSを書きそれを見て米軍のヘリがやってきたこと、避難所では水も電気もなくトイレに苦労したこと、2週間目にマイクロバスで鳴子に行き初めて風呂に入れたこと、ANAが平成の森内に「こころの湯」を作ってくれたこと、日赤が集会所の備品として7点セットを用意してくれたこと、などなど。「命さえあれば何とかなる」というご発言は、体験者でなくては軽々に口に出せない重い言葉である。「なんら復興の兆しが見えていない」という現状分析も僕たちに重くどっしりとのしかかった。今一番の課題は「防災集団移転」。状況によってはこの仮設にまだ2、3年いなければならない。
質問ができるということで僕も「義捐金がちゃんと被災者に届いているか」と聞いてみた。畠山さんによると出所は日赤とか特定されてではないが、義捐金は個人の口座に振り込まれたそうです。
夕食。食べきれなかったので隣の庄司さんに助けてもらう。食後9時ころまで今回の参加者の何人かと食堂で懇談。「こころの湯」で入浴。男性6人「スミレ」で相部屋同宿。

7月14日(日)
4時半頃目覚める。早すぎるので2段ベッドの下でうつらうつら。6時半起床。窓を開けると朝の爽やかな空気が室内に入る。昨日は雨も降ったが、今日は暑い1日になりそう。
朝食。夕食時もそうだったがお味噌汁がおいしく何杯もお代わりをした。
9時、高橋さんご夫妻がお見えになる。高橋さんはやまと物産代表・魚竜館館長。南三陸サポーターズが南三陸の海産物を送ってもらってるのが高橋さんのところです。むごいこと・残酷なことを強いたことになるかもしれませんが、高橋さんご夫妻は我々のために被災地の案内をしてくださった。バスに同乗していただいて車中・車外とご案内していただく。南三陸町は歌津と小津川から構成され、高橋さんは歌津地区になる。「魚竜館」は1970年9月に歌津町の海岸で世界最古の魚竜化石が発見されたことに由来する。
尾崎神社。源義経ゆかりの神社。高橋さんによると、「なんでも願い事を叶えてくださる」とのこと。僕は神仏に願うってことができない人間なので(恥)叶えてもらえないかもしれないが、「被災地が早く日常を取り戻せますように」と願った。尾崎神社に行くときは大きな松の左を通り、帰りは右を通れば願いが叶うってことで、それに従った。
アップした写真、尾崎神社から少し行ったところで撮った。日本海の荒波を知っている者にとっては、リアス式海岸の当地は海穏やかな絶景だが、あの日あの時、この海が牙を剥いた。
by tiaokumura | 2013-07-14 10:05 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)


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