(2月14日朝・記)
2月10日(日)、
東京国立博物館を出る。予定した時間より早く行動しているので、埼玉県立近代美術館の「
ポール・デルヴォー展」に回ろうかと一瞬思ったが、どのくらい時間がとられるかはっきりしないので、やめておく。デルヴォー、富山県立近代美術館にもあります。
上野から山手線で新宿、新宿で京王線に乗り換え。東京時代、長姉が相模原に住んでいたので小田急線にはときどき乗っていたが、京王線に乗った記憶はほとんどない。京王線で新宿から8つ目の
芦花公園で下車。駅前の交差点を渡り、左側の道をゆっくり歩く。やや坂道か。芦花公園は徳冨蘆花(とくとみ・ろか1868-1927)の旧宅跡。大学生時代、北村透谷を卒論にと考えていて徳富蘇峰(とくとみ・そほう1863-1957)もちょっと読んだ。
目的の
世田谷文学館になかなか行きつかないので、フィットネスクラブ?の前で利用者と思しき世田谷マダム^^に尋ねる。「すぐそこの屋敷の先です」とのお返事。なるほど、屋敷の陰になっていたが、文学館はすぐだった。
帰ってきた寺山修司
百年たったら帰っておいで/百年たてばその意味わかる 寺山修司のことを、われわれはまだ百分の一しか知らない
本展では、没後三十年の年に、彼の創作活動の原点ともいうべき青春時代をご紹介し、《ことばのひと-寺山修司》を再検証します。(展覧会図録「ごあいさつ」より)
寺山修司(てらやま・しゅうじ1935-83)の軌跡を、「生い立ち 青森から世田谷まで」「俳句」「短歌」「詩」「寺山修司からの手紙 恩師への手紙/友への手紙」の5部構成でたどる展覧会。恩師は中野トク、友は山形健次郎・松井牧歌。俳句→短歌→詩→演劇・映画・歌謡曲と多彩な活動を展開した天才・寺山修司、若いファンも多いみたいです。「
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」などが中学高校の国語教科書に入っているそうです。
九条映子との結婚披露宴の案内状(昭和37年5月15日付)も会場に展示されている。発起人が、石原慎太郎・和田勉・谷川俊太郎・武満徹・塚本邦雄・大島渚・浅利慶太・篠田正浩ら、すっごいメンバー。
会場では九条映子(九條今日子)・横尾忠則らが寺山について語るビデオも上映。
昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかゝって
完全な死体となるのである
(「懐かしのわが家」冒頭の4行)