寺本益英先生・弟と@大井肉店本店

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(12月23日午後・記)
12月20日(木)午後5時過ぎ、新幹線・新神戸駅着。駅から富山国際学院などにTEL。新神戸駅からホテルのある三ノ宮(三宮)までがけっこうややこしく時間がかかる。名古屋駅では新大阪で降りてのルートも提示してくれたが、そちらのほうが旅慣れない自分には合ってたのかも。
JR三ノ宮(JRはこの表記で、私鉄は「三宮」表記か)で弟にTEL。彼、当夜の宿泊先のホテルで待っていてくれた。方向音痴な兄^^を気遣って街頭まで出迎えに。「チサンホテル神戸」にチェックイン。ここ、「ベストリザーブ・宿プラザ」で予約。シングル・12㎡・風呂付きトイレ付き・禁煙ルームで素泊まり4700円、神戸高速東西線高速神戸徒歩1分・JP東海道本線神戸徒歩3分。シャワーなどの後、弟と当夜の会食へ。
弟は関西の某市役所を定年前に退職。関西学院大学の聴講生に。僕が富山大学の編入学を考えたのは、弟の影響もあったかも。弟が関学で出会った先生のお一人に寺本益英先生(先生のブログはこちら)がいらっしゃる。経済学がご専門で、弟が出会った当時は助教授だったが、40歳になるかならぬかで教授にご昇任。弟を通じて僕もお付き合いさせていただくようになった。関西に行った際には寺本教授・弟と食事も。前回は冷泉家展・等伯展の折にご一緒させていただいた。
当夜、神戸牛が食べたいという僕のリクエストに応えて弟が予約したのは「大井肉店・本店」。同店の公式サイトより創業の由来を引用。
1868年の兵庫開港(後の神戸港)に伴い、神戸の町には多くの外国人が住むようになりました。こうなると食習慣の違いが新商売をうながし、真っ先に出た要求が『肉』。当時の日本で牛肉を確保するのは大変難しいことでした。 /二ツ茶屋村の百姓・岸田伊之助が外国船の船長に生きた牛の納入を依頼され、農業用の牛を納めました。これは商売になると見た伊之助は小売りを始めると、その美味さの人気は港湾労務者から一般市民へと広がっていきました。 /明治4年、伊之助は妻の実家の姓を屋号につけた「大井肉店」を開き、これが神戸初の牛肉販売店「大井肉店」の創業となります。
食事は、目の前の鉄板で焼いてくれるスタイル。僕たちの席には沖縄出身の若者がついて調理してくれました。コース料理で、ステーキなど食しグラスワイン白を飲す。こんなことをいうとお叱りを受けそうですが、肉もおいしかったが、トーストが絶妙な味だった。食事開始直後に鉄板に食パンを置き、ステーキを焼くたびにそれに載せる。一通りステーキが終った後、その食パンをいただくという趣向。これが実にうまいんですね。カリカリ感・肉のうまみがそこそこしみこんだ味-弟の分も喰っちゃいました^^。
こういう集い、会話が何よりのご馳走。寺本先生はこの日「大庄市民大学」(尼崎市)で「2013年日本経済の展望」というテーマで講義、その後大学で授業。お疲れのところでしたが、総選挙・日本経済・日本近現代史・江戸文化・アメフト(関学が大学日本一に)・最近の大学生・大学のあり方など多彩な話題についてあれこれお聞きできた。総選挙、土井晩翠『星落秋風五丈原』に「治乱興亡おもほへば/世は一局の棊なりけり」という一節があるが、まさに小選挙区はオセロゲームでしたね。戦前日本を考えた時、ポピュリズムとナショナリズムが結びついたときの怖さも感じる。

話し足りず、9時閉店の後、近くのファミレスで続き。ホットココア数杯いただく。

11時過ぎ?、ホテルに戻る。入浴・テレビ・読書。『精選女性随筆集 九 須賀敦子』(文藝春秋)より。
きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。行きたいところ、行くべきところぜんぶにじぶんが行っていないのは、あるいは行くのをあきらめたのは、すべて、じぶんの足にぴったりな靴を持たなかったせいなのだ、と。(p146)
15年ほど前になるか、『ミラノ 霧の風景』『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』『ユルスナールの靴』『遠い朝の本たち』『時のかけらたち』からアンソロジーを編んで女友達にプレゼントした。須賀敦子は性別年代を超えて読み継がれる作家であるが、とりわけ人生に悩む女性にもっともっと読まれてほしいと思う。

午前1時過ぎ就寝。
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by tiaokumura | 2012-12-20 21:06 | 美味録12年 | Comments(0)


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