(9月2日午後・記)
9月1日午後7時半過ぎ、
鈴木忠志の挨拶の後、
『世界の果てからこんにちは』が始まる。
世界の果てからこんにちは
構成・演出:鈴木忠志
主な俳優:新堀清純(日本の男) 中村早香(その子ども) イ・ソンウォン(僧侶) ビョン・ユージョン(花嫁衣裳の女) 内藤千恵子(紅白幕の女) 竹森陽一(車椅子の男)
僧侶は5人、紅白幕の女は5人、車椅子の男女は9人です。『リア王』で新堀はリア王、kameron Steele(『世界の~』では車椅子の男)はエドモンド役でした。
花火師:前田徹 高橋保男 他5名
音楽:信時潔・作曲 大伴家持の長歌より「海ゆかば」 石坂まさを・作詞 城賀イサム・作曲「夜の訪問者」 西沢爽・作詞 遠藤実・作曲「からたち日記」他
鈴木忠志「日本という幻想(初演の演出ノートより)」から引用。
私の演劇活動の初期は二つの思想的な課題を軸に展開した。一つは日本の現代演劇は西洋の影響のもとに出発したが、その影響の受け方はこれで良かったのかどうか、もう一つは日本人と呼ばれる人種あるいは人間集団の思考や情動の独自性はどんなものかを解明すること・・・。
・・・『世界の果てからこんにちは』は利賀フェスティバル開催10周年を記念して、これまでの私の作品の中から、日本について考えさせる場面を抜き取り、花火を使ったショウとして構成したもの・・・。宗教人の世俗性や日本主義者の民族的妄想、あるいは食べ物をめぐっての些細ではあるが熱狂的な諍いや、歌謡曲に表出される自己満足的でセンチメンタルな抒情など、日本人が陥るバランスを欠いた心性のいくつかを批評的に造形してみた。・・・現在の我々には日本という言葉から感じるアイデンティティーはないのだ・・・それは第二次世界大戦を挟んだ日本という国の在り方、その断絶と継続の局面をどう把握するかという努力を意識的にあいまいにしてきた国家的怠慢に起因している・・・
同じく
鈴木忠志の「海ゆかば」より引用。
・・・最終場面はシェイクスピアの「マクベス」のセリフを少し変更し、主人公に語らせている。・・・
男 何を騒いでいた。
女 ニッポンが、陛下、お亡くなりに。
男 ニッポンもいつかは死なねばならなかった。/このような知らせを一度は聞くだろうと思っていた。明日、また明日、また明日と、/時は小きざみな足どりで一日一日を歩み、/ついには歴史の最後の一瞬にたどりつく、/昨日という日はすべて愚かな人間が塵と化す、/死への道を照らしてきた。
・・・演劇はギリシャ以来、思い出の歴史である。過去とそれを思い出す、その思い出し方の方法を集団で共有しようとする努力の産物・・・生きている間に、少しでも人間の顔を持ちたいという願望に支えられた文化活動・・・
今回の「世界の果てからこんにちは」の舞台が、演劇のそういう努力の歴史に連なっていればと思っている。
野外劇場で座っていると隣の座席の若い男性から話しかけられた。北京から来た中国人男性で群馬在住、利賀には仲間と共に車を運転してきたそうだ。カタコトの英語も交えて、鈴木忠志や「海ゆかば」や利賀について説明してあげた。
アップした
写真、前に9人の車椅子の男女、後中央に日本の男(新堀清純)。ずいぶん暗い写真ですが、実際には華々しく
花火が打ちあがっていました。
終演後、
鈴木忠志の挨拶。その後、
石井隆一(富山県知事)と
磯崎新による
鏡割り。僕は運転があるのでお酒はいただかなかった。
9時半過ぎ、バス。11時半過ぎ富山駅北口着。
おわら風の盆の観光客向けなんでしょうね、大型バスが何台も。