もう半世紀以上前(!)になるが、中学生時代は
ハンドボールをやっていた。ハンドボールはあの当時「送球」とも呼ばれ、11人制から7人制に移行する頃だった。僕はハンドボール部の主将をやっていて(今と違ってあのころは人望があったんでしょうねぇ^^)、中学卒業後は富山工業高校に進学しそのあとは大崎電気に入社などという人生設計を夢見ていた。大崎電気は、今もそうですが、ハンドボールの実業団強豪チームだったんですね。少年の夢はあっさり挫折し(ハンドボールで就職なんて甘っちょろかった)、高校は普通科に進学した。富山高校での国語は
上杉先生(学年主任だったか)・
神島先生・
大間知先生(奈良女出の才媛)に習った。古文も現代文も、まぁまぁできはよかった。夏休みには先生方の手によるのでしょうね、『三太郎の日記』『こゝろ』『出家とその弟子』『人生論ノート』『善の研究』『無常といふこと』『二十歳のエチュード』などの「読書案内」が渡され、それを導き手としていささか読書に励んだりもした。旧制高校の雰囲気も残る時代だったんでしょうね、「教養」という言葉がまだ生きていた。今の高校生の「必読書」には古すぎるリストになるかなぁ。
上杉先生も神島先生も
東京教育大学のご出身で、進路を考える時、そのことも念頭にあった。自分、大学を卒業したら母校の国語教師になろうと思ったんでしょうね。大学進学はできたが結局は都会の紅灯に惑わされ^^
除籍の運命を辿ったのだけれど(照)。
一昨日7月10日帰宅したら郵便受けに分厚な封書。筆太の表書きで裏を見ると
神島達郎先生からだった。何だろう、と着替えもそこそこに開封。アップした
写真の3冊が入っていた。それらは、
①神島達郎「山田孝雄先生を探る」(『富山教育』)、②神島達郎・編『大学入試問題選 古文 国公立・難関私立大学レベル(記述式)』(日栄社)、③神島達郎・編著『10日で確認 新・古文常識チェックノート』(日栄社)
である。
同封の手紙によれば、先生が東京のご友人に①を贈ったところ、その方から「貴君のインターネットの文章を送って」こられた。ご友人がネッとで検索されて、神島先生に関する僕のブログ記事がヒットしたんでしょうね。「そこで、貴君にも拙文を読んでもらいたく、ここにお贈り」という次第。僕は2008年の秋、神島先生の「
山田先生と日本語」という講座を富山市立図書館(山田孝雄文庫がある)で受講しています(ブログ記事あり)。その時の内容をもっと膨らませたのが前掲①。「山田孝雄先生を探る(上)-国語学者としてー」「山田孝雄先生を探る(下)-「谷崎源氏と先生」などー」の2回分。
②・③は、「この種のものは、この二十五年間ほど一年に一冊作ってきました。頭がだんだんと働きづらくなってきましたが、これは小生の楽しみの一つでもあります。」。先生はまもなく77歳、その情熱に脱帽するばかりです。
神島達郎先生、貴重なご著述、ありがとうございました。
「小生はインターネットがどうしても出来ません」とのことで、当ブログに直接ご訪問はないかもしれませんが、ここにお礼の気持ちを掲載させていただきます。
これからも「山田文法」研究はもとより高校生のためのご著作にお励みください。
先生のますますのご健勝をご祈念申し上げます。