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山本作兵衛『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる 地の底の人生記録』(講談社)

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山本作兵衛(やまもと・さくべえ1892-1984)
新装版『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる 地の底の人生記録』
2011年10月5日 新装版第6刷(1967年10月第1刷 2011年7月新装版第1刷)
講談社
1700円+税

僕たちが小中学生の頃(僕は昭和21年生まれだから昭和30年代とほぼ重なる)、教室の暖房は石炭だった。日直が決まってて教室の石炭ストーブ用の石炭を校庭にあった石炭置き場から補充してたように思う。石炭ストーブを囲んでだべったり弁当(小学校は給食で中学校は弁当だったように思うが記憶違いか)を温めたりしてた。あの石炭の産地はどこだったのだろう。『昭和25年版 中学校社会科地図帳 復刻版』(帝国書院)によると昭和23年日本の石炭産額は3398万トンで内訳は九州55%、北海道26%、東部10%、西部9%(p61)。北陸に炭田はなかったから、ひょっとして九州からの石炭だったのかもしれない。エネルギー革命の前、石炭が重要な基幹産業だった時代。
北陸の地で生まれ育った身としては、筑豊炭田について知るところは少ない。ボンヤリと思いつくのは、例えば五木寛之『青春の門』。最初の映画化では(1975年。監督・浦山桐郎)、牧織江を大竹しのぶ、伊吹信介を田中健、重蔵・仲代達矢、タエ・吉永小百合など。1981年版の映画の主題歌がシンガーソングライター山崎ハコの『織江の唄』。五木寛之は山崎ハコを高く評価してた。土門拳(どもん・けん1909-90)『筑豊のこどもたち』(1960)、『古寺巡礼』の前の写真集になる。大衆演劇の「嘉穂劇場」。椎名林檎が2000年にライブイベントを行っている。谷川雁(たにかわ・がん1932-95)、上野英信(うえの・えいしん1923-87)。これは若松になるが火野葦平(ひの・あしへい1907-60)の『花と竜』。僕は石原裕次郎の玉井金五郎、浅丘ルリ子のマンの日活映画(1962。監督・舛田利雄)を見ている。主題歌を石原裕次郎が歌っていた。それからこれも筑豊ではないが三井三池争議。僕は中学生だったが「総資本対総労働」を覚えている。闘争は労働側の敗北で終わり、やがて1963年には三井三池三川炭鉱炭塵爆発で多数の死者と多数の一酸化炭素中毒を出した。石炭産業は完全に斜陽化してたでしょうね、もう。
昭和30年代、わが家の暖房はこたつと火鉢でした。高校生頃には受験勉強時に足温器なんてのを使ってました。

皆さんはどうだったでしょう、僕は「山本作兵衛」も「世界記憶遺産」も全く知らなかった。新聞記事で初めて知った。UNESCOの世界記憶遺産(Memory of the World)の狙いはpreserving and digitizing humanity’s documentary heritageだそうです(Wikipedia)。山本作兵衛が没して7年後、「平成23(2011)年5月には589点の絵画や108点の日記・ノートなどがユネスコの認定する『世界記憶遺産』に日本国内から初めて登録された。」(本書「山本作兵衛略歴」より)。
本書、「Ⅰヤマの生活」「Ⅱヤマの米騒動」「Ⅲヤマの労働」で構成され、山本の画文がカラーまたは白黒で収録されている。
併せて、上野英信「序にかえて」・永末十四雄「解説」・金子光晴「鉱夫の歴史を伝える画文集」・石牟礼道子「作兵衛さんの絵」・菊畑茂久馬「不世出の千両役者に似て 暗闇つき抜けた清冽さ」・南伸坊「山本作兵衛さんのこと」、及び山本作兵衛「あとがき」。南伸坊と山本作兵衛の結びつきって「?」ですが、南は菊畑茂久馬が「1970年、わたしは東京の若い画学生たちと作兵衛さんの絵を大きな壁画にする作業に取り組んだ」(菊畑「不世出の千両役者~」p208)ときの画学生の一人になります。本書の装丁は南伸坊。
山本は明治32年の夏、「小学校2年生で、数え年の8つ」のときに炭鉱で働き始める(p94)。「朝は2時から3時に起きて入坑し、10時間も12時間も働く」(p95)。山本の職場「位登炭鉱」が閉山になったのは昭和30年。その後山本は夜警に。「絵を描きはじめたのは、33年5月ごろから](p117)、山本は還暦をとっくに過ぎていた。「昔のヤマの様子を描いて子孫の語り草に残しておくのもまた一興かと思い、脳裏に浮かぶまま、1枚また1枚と描き重ねました。」(p117)。
他人に見せようなどとは夢にも想像せず、また見せられるようなしろものでもありません。貧乏に生まれて知恵もなく、一生をようするに社会の場ふさぎとして過ごしてきた一人の老坑夫のまずしい記録にすぎません。したがって、ただひたすら正確にありのままを記すことのみを心掛け、それ以外のことは考える余裕もありませんでした。これから五十年、あるいは百年の後、孫やその孫たちが、こんなみじめな生活もあったのか、と心から思えるような社会であってほしい。それだけがせめてもの願いであります。(p119)

本書、貴重な出版物であることは確かであるが、もっと大きいサイズで全てカラーで見てみたい。世界記憶遺産の狙いがデジタル化でもあるのだから、山本の作品がデジタル化されて世界中で閲覧できるようになったら、山本作兵衛さんの画文に込めた想いが地球規模で末永く伝わることでしょうね。

(注)
本記事はWikipedia日本語版・英語版を参考にしました。
by tiaokumura | 2011-10-20 19:44 | | Comments(2)
Commented by Isa at 2011-12-23 20:56 x
このページ、とても気に入ったのでピンスパイヤーというサイトで紹介させてもらいました。<a href="http://www.pinspire.jp/pin/show/212192">http://www.pinspire.jp/pin/show/212192</a> いろんなサイトを集めてピンスパイヤーにアップしていっているので、見に来ていただけると嬉しいです。<a href="http://www.pinspire.jp/board/show/53688">日本語教師・奥村隆信 ひとり語り : 山本作兵衛『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる 地の底の人生記録』(講談社)</a> いろんなジャンルの画像がたくさんあるのでとても楽しいですよ。
Commented by tiaokumura at 2011-12-26 09:05
Isaさま、ご訪問並びに初コメントありがとうございます。
ピンスパイヤーというサイト、いまいちよくわからないサイトですが、山本作兵衛『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる 地の底の人生記録』(講談社)の宣伝になっていれば幸甚です。


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