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「和田とも美さん 韓流に乗らず究める」(朝日新聞「フォーラムとやま」)

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最近当ブログをご訪問いただくようになった方にはにわかに信じがたいことかもしれませんが、僕は2006年4月に富山大学人文学部言語学コース3年次に編入学し2008年3月に卒業しました。年齢で言うと59歳から61歳のことです(照)。右の「カテゴリ」に「僕は大学3年生」「僕は大学4年生」「卒業論文」とあるのは、その当時の大学生活を綴ったものです。自分なりに充実した2年間じゃったかなぁとは思いますが、今はもう怖くて(謎爆)当時の記事を読み直すことはほとんどない。
富山大学では専攻の言語学では呉人惠教授・安藤智子准教授に多大なご指導を受けました。半ばジジイ化しとる「学生」、ご指導、大変じゃったでしょうね(激爆)。自分、2年間で卒業しようってんですから好きな授業を自由に選択ってのほとんどできなかったのですが、何人か今でも印象に残る先生方がいらっしゃる。還暦前後でナマイキな学生だったからでしょうね、「つまんない教官」も約*名おらっしゃったけんど^^。

今朝(2011年5月25日付)の朝日新聞富山版の「フォーラムとやま」は和田とも美先生(富山大学准教授)で「韓流に乗らず究める」(成川彩記者)。写真キャプションは
「浮ついた韓流には乗れない」と話す和田とも美・富山大准教授
記事から和田先生の略歴を辿ると,高校→東京外大→ソウル大大学院→富山大学教官ということになろうか。
富山大学生時代に僕は、和田先生の授業は2006年前学期「朝鮮言語文化概論」を受講した。先生、当時30代半ばってことになるでしょうか。今回この記事を書くにあたって先生の授業ノートを探してみたが見つからない(泣)。僕、2年間の富山大学生時代で「これは」って授業のノートは取ってあるんですね。読み返すこともないのでしょうが「青春」の形見なんでしょうね(照)。ところが整理が苦手なのでどこかに紛れ込んだみたい。
先生の授業は日本植民地時代の朝鮮大衆文化がテーマだった。取り上げるジャンルは音楽・映画・文学・舞踏・ジャーナリズムなど。毎回膨大な資料が配られ、それらは普通に集めようとしても困難なものばかり。崔承喜(최승희チェ・スンヒ1911-69?)も当然出てきました。DVDだったんでしょうか、映像も見ることができた。崔承喜は、高野悦子が岩波ホールで藤原智子監督『伝説の舞姫・崔承喜-金梅子が追う民族の心-』を上映したので知った方が多いかもしれませんね。
和田先生の授業では毎回最後にその日の授業の感想・質問を書かせる。そういうの何とかっていうのですが、記憶アホなんで忘れました(恥)。翌週先生が書かれた質問に答える。ある時、質問者の名前は言われないのですが「あ、ワシじゃ」ってのがあった。で、内容も忘れた(記憶アホ^^)のですが、視点がいいとか褒められてめっちゃ嬉しかった(激爆)。
先生は学生に阿らない・厳しい先生でもある。ある時学生の質問で「日本が植民地にしたおかげで朝鮮はインフラが整備され後の発展があったのではないか」といったような質問があった。「大東亜戦争」もそうですが、ときどきそういうアホな発言をする政治家がいますが、この学生、アホなわけではなく単純に「歴史を学んでいない」せいでしょうね。本人が悪いのではなく教育が悪い。和田先生は「日本が植民地にしてなければ、朝鮮民族はもっと早く発展していました」といった感じできっぱりご回答。
人文学部棟の外には、今はもうなくなったでしょうが、あの当時は喫煙場所があった。ある時そこで喫煙していたら和田先生がお子さんを抱いてやってこられた。その頃には自分もいっぱしの大学生になっとったもんで^^図々しくも「先生、どうなさったんですか」とお聞きした。先生「子供が熱出して、保育園、預かってくれないの」というご返事。育児と大学の両立、大変なんでしょうね。富山大学、育児施設あれば全国・全世界から優秀な女性研究者、集まってくるんじゃないでしょうか。大学も難しい時代-富山大学も大胆なプロジェクトを打ち出さなきゃ、生き残れないでしょうね。

朝日記事にもありますが「富山大の韓国・朝鮮文学研究は知る人ぞ知る老舗」です。僕の若い頃、梶井陟(かじい・のぼる1927-88)が高名だった。梶井陟は『36人の日本人 韓国・朝鮮のまなざし』(明石書店 2005年)にも「他日を期した人物」として与謝野鉄幹・石川啄木・幸徳秋水らと共に取り上げられています。
僕は富山大学生時代、藤本幸夫教授の最終講義「私と朝鮮学」も受講しました。和服をお召しになった奥様が僕の斜め後ろで聴講されていました。藤本先生は今は確か麗澤大学だったか。

僕は小中学生の頃「在日」のクラスメートもいた。高校生時代の『キューポラのある街』では帰還シーンもあった。政府・自民党・社会党・日赤・総連あげての「北の楽園」への「帰還」運動。「在日」は「生き地獄・日本」より「北の理想国」に生きる場を求めた。あれから約半世紀、原発も「安全安心」「クリーンエネルギー」というふれこみだった。いつの時代にもだまされるのは・犠牲になるのは「庶民」なのだろう。東京での大学生時代、初めて参加したデモは「日韓基本条約」反対だった。日本の戦争責任をあいまいにし南の独裁政権に手を貸すことの愚に反対してのフランスデモだったか。『イムジン河』を聴いたのも東京時代だった。時代は一気に下って映画『シュリ』との強烈な出会い。『冬のソナタ』もけっこうハマった。梁石日『血と骨』も井筒和幸監督『パッチギ』もよかった。日本語教師として韓国人・朝鮮族学生とも何人も出逢っている。

朝日記事によれば和田先生の研究テーマは李光洙(이광수イ・グァンス1892-1950)。韓国では「夏目漱石のようなポピュラーな存在」だそうで「韓国留学時代に書いた博士論文を日本語で書き直し、今夏にも単行本として出版」のご予定だそうです。なお、崔承喜も李光洙も現在の韓国では「親日派」です。かの国で「親日」は、ご存知でしょうが、「売国奴」です。一日本人としては痛恨至極です。
記事タイトル「韓流に乗らず究める」は、和田先生の以下のようなことから。記事引用。
大学ホームページの教員紹介には「『韓流』について勉強するところではありません」とうたい、現代語もおぼつかない学生に容赦なく古典を学ばせる。授業で見せるのは韓流スターのドラマではなく生の韓国人が出るドキュメンタリー。お蔭様でブーム以来学生は減少傾向という。
引用最後の一文はイマドキの大学・学生への痛烈な皮肉でしょうね。「お蔭様で」なんてよくぞ成川彩記者書いた!と言いたい。僕だったら「(激爆)」なんてのを句点にしたかもしれん(激爆)。
和田ひろ美先生のような硬骨漢(先生は女性だけど^^)が大学教官であると思うと、僕なんぞはなんだかホッとする。

写真上でだが、久しぶりに拝見する和田ひろ美先生のお顔。なんだかお疲れのような表情で、教え子(遥か年上じゃけんど^^)としては心配。
by tiaokumura | 2011-05-25 20:57 | 富山 | Comments(0)


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