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2011年度始まる

4月最初の日曜日、家で準備・片付けなど。今日の富山、春らしい日差しですが、最高気温は10℃がやっとでしょうね。岩手・宮城・福島は北陸より以北。「春は名のみ」なのかもしれませんが被災地でも春景色に元気をもらっていただけると嬉しいです。でも被災者にはふるさとが「年々歳々花相似たり」(劉廷芝『白頭を悲しむ翁に代る』)ではないのでしょうね。

明日月曜日、新年度授業開始。新年度の学院生は中国・ネパール・ロシア・台湾・インドネシア・ベトナムの6カ国・地域で、僕の授業担当は、月・水・木・金の週4日で計45分×12コマ。
日本語授業では毎年何か新しいことに取り組むようにしていて、昨年度は『大地』と「シャドーイング」だったか。今年度は①「非漢字圏の日本語漢字300~800字」、②「高校受験『国語』」、③「コーチング」に取り組みたい。
①、非漢字圏の漢字指導、300字くらいまでは指導法も教材もまあまあなんとかできつつある。そのへんまではほとんどの学生もついて来られる。でもその後、これと言った「決め手」がまだなく習得の個人差も大きすぎる。その壁をどう突破するか。
②、NPO法人としても外国籍の子の高校受験に取り組みたいのだが、「受験国語」をどうするかが未解決。数学・英語・面接・作文なら何とかなるのですが。受験国語にメドが立ったら新しい地平が開けるでしょうね。「高校進学」について、先日、米田哲雄先生(勉強お助け隊)・銭輝老師(富山市民国際交流協会)にレクチャーを受けてきた。近いうちに青木由香さん(高岡外国人の子どものことばと学力を考える会)にもレクチャーしてもらいに行って来ようと思う。
③、今回の大震災でも被災者の心の支援として「傾聴」(あるいは浄土真宗には「内観」というのがあります)が有効でしょうね。日本語教師としても学生の指導にコーチングが必須。コーチング、何年か前からちょっとずつ勉強しているのですがまだスキルにまで至っていない。本や体験を通じてきちんと勉強したい。
僕は組織トップでもある。学院長三年目に入りました。俗に「三日三月三年」なんて言いますが、さらにその真価が問われる年度になるでしょうね。幸い今年度もスタッフ12人(+育児休業中1人)の体制で臨める。日本語学校の日本語教師は、授業力も教師力も通常の教師レベルを遥かに超える能力が要求される。トップの在り方としては「スタッフの働きやすい環境を作り能力を最大限に引き出し全ての最終責任は持つ」ってことでしょうね。「想定外」なんて逃げ道は絶っておかなければならない。
健康管理もプロの日本語教師の要件。64歳6か月の僕、これまでほとんど健康に気を配ってこなかった。それでもどうってことなかったのはラッキー。でも昨年の脳腫瘍発見や食欲不振を契機に、不健康はプロ失格と思えるようになった。アンチエイジングはまるっきり心がけるつもりはないが、加齢に伴い衰えつつある脚・目・耳の補充?をし、新年度の早いうちに内科にも行って来ようと思う。脚力強化(富山国際学院の教員室は4Fなのですが、上りがきつい。エレベーターはなし)、この間夕食をともにした実弟夫婦が言っていた「水中ウオーキング」、取り入れようかなあ。あと、夜間頻尿っていうそうですが、夜中のおしっこも何とかせんならん(照)。中高年女性に多い尿失禁だって、ボク、無縁じゃなさそう。
ここ数年、日本・日本留学の魅力が減じつつある。元気なのはコミック・アニメ・ゲーム・コスプレ・日本食などのソフトパワーくらいかもしれない。今回の大震災・原発人災によってさらに日本・日本留学の魅力が低下するだろう。そんな大状況下にあっても、志や夢を見失わず日々の活動をひとつずつしっかりとこなしていきたい。プロの日本語教師の僕の場合、突き詰めれば「授業が命」ってことでしょうね。

宮沢賢治(みやざわ・けんじ1896-1933)は三陸大津波・陸羽大地震の年に生まれ三陸大地震津波の年に永眠。賢治が生きている間、岩手は少なくとも7回の凶作に見舞われた。「寒サノ夏」も何度もあった。逞しい岩手人は一方で6回の豊作も勝ち取っている。陸羽132号(農林1号もコシヒカリ・ササニシキ・あきたこまち・ひとめぼれもその子孫)は賢治晩年から作付。「君が自分でかんがえた/あの田もすっかり見て来たよ/陸羽一三二のほうね/あれはずいぶん上手に行った/肥えも少しもむらがないし/いかにも強く育っている」(『稲作挿話』。常用漢字・現代仮名遣いに改めた-奥村)。関東大震災時、賢治は27歳。「イーハートーヴ」には彼の被災体験も色濃く反映しているのでしょうね。
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない(『農民芸術概論要綱』)
これまでの人生で折に触れこの賢治のメッセージを反芻して来たが、今ほどこの賢治の名言が心の奥深くに沁み込むことはない。
古くはアテルイ・阿倍氏・清原氏を生み、原敬・後藤新平・宮沢賢治を育んだ地。僕は、岩手のみならず宮城福島の再生・創生に微力ながら支援し続けたい。

今回、ツイッター・FaceBook・ブログが消息確認・支援情報・応援などで力を発揮したようですね。僕のブログの3月、昨年9月以来久しぶりに記事更新20本超えでした。6割以上が大震災関連。ひょっとして当ブログが少しでも役立てていたら幸甚。例によってマスメディアはアリバイ作りみたいに「感動話」ごっこに興じていますが、1つの明るいエピソードの裏には多くの「悲劇」があるという想像力は失わないようにしたい。神戸をきっかけに広まったボランティア・NPO・NGOが被災地や後方で活発な活動を展開している。「人間っていいなあ」と思う。「アジア子どもの夢号」が週末0泊3日で石巻市で活動を展開している。僕も行きたいが今のところ年齢を考えると足手まといになりそうで躊躇している。若者たちのフットワークの軽さが羨ましい。

富山にも震災の影響が出始めている。チンドンコンクールの「自粛」、名湯宇奈月温泉のキャンセル続出、北陸線の間引き運転など。ボクのようなアホは365日24時間被災者のことを思い続けられるわけではないが、せめて被災者の足を引っ張ったり後ろから鉄砲を撃つような真似だけはしないようにしたい。

(注)
本記事の宮沢賢治については、分銅惇作・栗原敦『宮沢賢治入門』(筑摩書房)などを参考にした。
by tiaokumura | 2011-04-03 14:53 | 僕は学院長3年生 | Comments(0)


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