人気ブログランキング | 話題のタグを見る

第57回全日本チンドンコンクールは中止すべきだったのだろうか

富山市の夏の風物詩に8月1日の「花火大会」がある。7・8月は全国各地の花火大会シーズンですが、富山市の場合「8月1日」に行われることに大きな意味がある。
1945年8月1日、アメリカ軍による市名入りの空襲予告ビラが富山市に投下された。水戸・八王子・舞鶴・久留米など全国11都市にも同様のビラ。同夜午後10時米軍機が富山上空に現れるもそのまま東に飛び去ったので市民は「ビラはハッタリだったのだろう」くらいに思い眠りに就く。当ブログの2007年8月2日付記事に引用した「富山大空襲を語り継ぐ会」から孫引きする。
1945年8月2日午前0時36分~2時27分(焼夷弾投下111分間)
174機のB29、焼夷弾51万7千発余り
死者推定3千人、負傷者約8千人、被災世帯2万4914戸(109592人)
「富山大空襲」を扱った名作に中山伊佐男『八月二日、天まで焼けた』がある。中山は当時15歳、母と妹を失う。中山たちが逃げ回った地区は、現在の私の勤務先の富山国際学院から目と鼻の先である。『八月二日、天まで焼けた』(高文研。今も入手可かは不明)は、僕が奥村学習塾をやってた頃、『はだしのゲン』シリーズと並んで貸し出し上位だった。
富山市の8月1日の花火大会は、富山大空襲で亡くなった方々の慰霊であり、戦争の悲惨さ・無意味さをいつまでも語り継ぐためのイベントである。

夏の風物詩が花火大会なら、春の富山市の風物詩は「全日本チンドンコンクール」だろう。私は人ごみが苦手なので、花火大会もチンドンコンクールも当日それ目的で出かけることはないが、多くの富山市民・富山市外の富山県民の楽しみイベントでしょうね。どちらも富山県外からの見物客もあるイベントです。
「全日本チンドンコンクール」がなぜ富山市で行われるのか。
先述の富山大空襲で焦土と化した富山市だが、官民一体の勤勉で粘り強い努力によって復興しやがて1954年には富山産業大博覧会を成功裡に終える。いやこれはひとり富山市のみならず、日本各地の市町村・日本全国津々浦々、敗戦から不死鳥のように奇跡の復興を成し遂げた。富山市の「全国チンドンコンクール」は当時の商工会議所副会頭のアイディアで1955年に開始。復興富山市のシンボル的イベントである。その後「全日本チンドン選手権大会」に名称を変え、1981年からは「全日本チンドンコンクール」。チンドンがここまで富山市に定着した功績者に高沢滋人がいる(今は故人)。いずれ当ブログでご紹介したい。

さて記事タイトルである。
昭和天皇の時もそうだったが、歌舞音曲はまかりならぬとのお達しで世の中は「自粛」ムード。流行ってるのはビデオレンタル屋とラブホだけ、なんて言われた。昭和天皇の時は一個人だったが、今回は未曾有の国難であることは間違いない。
3月23日の実行委員会-会長の富山市長と副会長の富山商工会議所会頭は欠席。これもなんかヘンだが-で「東日本大震災とニュージーランド地震の被災者に配慮し、中止を正式決定した」(北日本新聞2011年3月24日付)。今年は4月8~10日に開催予定だった。同記事には、チンドンマン3人のコメントも載っている。
こういう時だからこそ勇気や夢、希望を与えないといけない。やめることで被災地はよくなるのか。(富山市)
災害復興の思いを込めてやってほしかった。塩釜(宮城県)のチームも来られると聞いていたので残念だ。(大阪市)
中止は残念だが、被災地の仲間やファンのことを考えるとやむを得ない。来年は倍の力で盛り上げたい。(長崎県)

私は第57回全日本チンドンコンクールは中止すべきではなかったと思う。
富山から全国に元気を発信すればよかったのである。日本は/日本人は今回のことで負けない/お互いに支え合い助け合っていこうというメッセージを送ればよかったのである。原発は人災だからまた話は別だが、地震津波で絶望に襲われても東北魂は必ずや復興の地を築き上げるのである。豊かな恵みを齎してくれていた海が牙を剥き、父祖伝来の地が崩れ割け寸断され、愛する家族や友人や教え子や社員を喪い、後方の安全地帯にのうのうと暮らす私たちの想像を絶するようなご苦労を被災地の方々が今この瞬間もなさっているのは間違いないが、僕は東北再生を信じ、そのために自分のできることを惜しまず継続していきたい。
チンドンコンクールの純益を全額被災地に送る・コンクール上位者を岩手宮城福島に派遣する・会場で募金をする・YouTubeにアップして被災地の皆さんに楽しんでいただくなど、被災地に役に立つ活動はいくらでもできるはずである。プロ野球の「電気喰い虫」と違ってチンドンは、二本の足でほとんどがアコ-スティック楽器で町を練り歩きステージでパフォーマンスを行うのである。年配者の中には、子どもの頃、チンドンのスタンダードナンバー『竹に雀』を追っかけた経験がある方も多いのではないだろうか。チンドンは老若男女共通の数少ない娯楽である。

非国民」「パーマネントはやめませう」「ぜいたくは敵だ」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」。このような類のスローガンがやがて叫ばれるのだろうか。そんなことで東北人は喜ぶのだろうか。
過剰な自粛」はそれこそ「自粛」してほしいと僕は思う。
こういう記事を載せるとブログ炎上必至かな。ついでに言うと、ACの仁科母娘の広告(僕も何度か見ている)に非難が殺到しているそうだが、それもおかしな話だ。
by tiaokumura | 2011-03-26 20:17 | 富山 | Comments(4)
Commented by 虎仮面 at 2011-06-23 05:59 x
はじめまして
富山市災害偽善ボランティア員です。
NHKで全国放送
チンドン屋、被災地訪問していましたね
自粛を叫ぶ人は 被災者でなく 震災で全く被害を受けていなく 更に、震災特需で利益を得ている方々 が 多い気がします
現場や 手を汚さない 輩 程 人の為と言って 言動する 真の偽善者かと思います。
Commented by tiaokumura at 2011-06-23 18:42
虎仮面さま、ご訪問ならびに初コメントありがとうございます。
この記事書いてから3ヶ月経ってるんですね。被災地の状況はあまり変わってない。政治の貧困でしょうね。ボランティアもずいぶん足らないみたいです。
拙いブログですが、またのご訪問をお待ちいたしております。
Commented by 虎仮面 at 2011-06-24 00:42 x
RE:ありがとうございます。そして失礼しました。この日記読んで、頭が柔らかく、真実を追及し、ブログに載せる方、せいぜい50代よりお若い方と思っていました。ら、同期の日記に、中西元校長?(校長先生は私なんか覚えてられないとおもいますが、1,2度校長室でお話したことあります)
私は、今日で40歳の介護職です。被災地には各地行ってきましたが、今回は放射能を恐れ、活動は控えている臆病者です。
ただ、今までの被災地で感じた事は「生きてこそ」
闘病生活も生きてこそ。天命を全うされ、ご快復をお祈り致します。
Commented by tiaokumura at 2011-06-25 08:21
虎仮面さま、年齢は気になさらずに^^。中西君は中高校同期です。彼の長兄が城野先生(故人)で、このブログで追悼記書きましたが、僕の小学校の時のご担任。今僕が教師の真似事をやってるのも城野先生の影響があるのかも。
励まし、ありがとうございます。これからもときどきご訪問くださいませ。


<< 被災者月金の創設、平成徳政令の施行を ブログ「アジア子どもの夢 東北... >>