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まだまだ希望は捨てないでいたい

痛ましい遭難である。
犠牲になられた145人(地元警察発表)の「みたま やすかれ」と祈りたい。

私は富山市立富山外国語専門学校(1985年4月開校)と少しご縁がある。
公立の外国語専門学校って珍しいでしょうね。ウロ覚えだが、当時の富山市長が文化や教育に造詣のある方で、それで同校や桐朋や能楽堂が富山にできたと聞いたことがある。
同校には一般市民向けの公開講座がある。1987年3月になるでしょうか、その中の「英語入門」を受講した。当時の僕、奥村学習塾を開塾して数年、ちょうど塾ブームだったんでしょうね、あまり宣伝せずとも募集でき、日々の授業もまぁ自分なりの理想を求めてあれやこれや取り組んでいた。だが物憂い気分もあった。「青い鳥症候群」だったのかもしれない。「このままの自分じゃダメだ」と思い何かを習おうと思っていて、新聞記事を読んでだったか富山市立外国語専門学校(通称「外専」)を知った。どうせ英語を習うなら最初っから習おうと「入門」を受講した。講師のお名前は忘れたがお顔は覚えている。僕は今語学教師の端くれをやっていますが、あの先生の授業がすばらしかったことを今もまざまざと覚えている。受講生の8割は女性だった。中には戦中にあって英語を学ばなかった方々もおられた。生涯学習の範となる方々がたくさん受講されていた。2年目は「初級」に進んだ。その時に出逢った太田英一先生には感謝しきれない恩義がある。僕、人生で初めて英語学習に目覚めたんですね、太田クラスで。あの時ほど英語を一生懸命に学んだことは先にも後にもない。先生は受講生に「3分間スピーチ」を課された。「よし、毎回挑戦してみよう」とあれこれネタ探し&発表準備。あの当時はDaily Yomiuriが安くって定期購読し、あるいは当時金沢にあった丸善でBob Greeneのペーパーバックなどを購った。その時のスピーチは”Thus Spake a Middle-aged Man”(「中年男かく語りき」)という題で妻に筆で題字を書いてもらい、冊子を30部ほど作り友人知人に配った。天皇のことでダグラス・ラミスに手紙を書いたのもその頃だし、太田クラスの文集"KALEIDOSCOPE"の編集を手伝わせていただいたのもその頃。その次の年は「中級」に進んだ。今もそうでしょうか、外専は中級からネイティブ講師。期待が大きかっただけにガッカリ。今日本語教師なんで自戒しているが、語学教師ってネイティブなだけじゃダメなんですね。その女性講師、一生懸命さは伝わるのですが語学教師としては実力不足だった。翌年は、自分の実力も顧みず上級の「国際理解」のクラスを取った。スーザン・浦上先生。ご主人が日本人で僕の自宅近くにお住みだった。後に日本語教師になる僕には「プロの語学教師というのはこういうものなのか!」と、毎回眼から鱗であった。あの時の経験が今日本語教師としての自分の中で生きている。
外専通いの年月の中で英語検定にもチャレンジした。級は何も持ってなかったので5級からチャレンジ。受験会場、ほとんど中学生で、当時40代の僕は非常に照れくさかった。受験回数ごとに4級→3級→2級と進んだ。英検って3級から面接試験がある。僕、外専で2次面接試験を受けました。偶然なんでしょうが、3級も2級も川端國昭先生でした。先生に英語を習ったことはなかったのですが、外専に出入りしていてお顔は存じ上げていた。試験で緊張している僕をお優しい笑顔で包んでくださり、おかげで両級とも1回で突破できた。英検、その後は仕事が忙しくなり上の級は受検していない。受けても無理ってのもありますが^^。
外専では他に、田中啓子先生にフランス語を習い、キム・ユンオク先生に韓国語を習い、銭輝老師に中国語を習った。キム先生のご主人は当時は富山国際学院の専任で、そのご縁があって僕の今の勤務先の富山国際学院に入ることができた。銭老師には今もあれこれアドバイスをいただいている。
富山市立富山外国語専門学校は、勤務先の富山国際学院の進学相談で何度か訪れたこともある。同校は初めは外国人留学生は想定外だったようだが、その後門戸が開け、僕の知る限りでこれまでにロシア・中国など6名が同校に合格している。

川端國昭教授スーザン・浦上先生クライストチャーチに入られた。少し前の朝日新聞記事で知ったのですが、川端先生の娘さんの奈良女子大2年生も行方不明なのです。川端先生のご心労たるや僕なんかの想像を超えるものがあるでしょうね。学生想いで良き父親である川端先生は、今朝の北日本新聞で「父の立場隠し 毅然と」と報道されている。
かつて僕は外専のスーザン・浦上先生の授業を引き続き受講したかったのですが、ご出産で休職された。お子さん(小学生?)を置いてのご出張、スーザン先生も現地で貴重な支援をなさるに違いない。
神保正准教授もクライストチャーチに出発された。神保先生とはボランティア活動で年に1回くらいお会いしています。頭の回転が速く、状況把握能力に優れた方です。

民主党、またバカをやりましたね。前原外相、救援の政府専用機に家族を乗せたいということで、同乗希望者名簿を出すように学校に連絡してきた。ところがその後飛行機のキャパの関係で無理ってことが判明し、その提案はナシに。そんなこと最初っからわかっとらんかったんでしょうか。リップサービスにもほどがある。前原って、前から思っていましたが、本当に無能な外務大臣です。やっとでさえ心痛な家族・学校関係者の神経を逆撫でするバカさである。あんな大臣に外交は任せておけないでしょうね。インテリジェンスのイロハもわかっていないんじゃないでしょうか。他にも今の民主党ってアホな発言・行動、多すぎる。

King’s Educationの富山外国語専門学校生12人(19歳10人・22歳1人・61歳1人)を含む多くの方々の行方がまだ不明。地震発生から5日目の夜になったが、過去にも事例があるようにまだまだ救出者の希望は捨てないでいたい。
by tiaokumura | 2011-02-26 20:13 | 富山 | Comments(8)
Commented by かくだ at 2011-02-28 18:12 x
本当に痛ましい事故ですね、
考えると胸が締め付けられます。
Commented by tiaokumura at 2011-03-01 19:25
かくだ様、ご多忙な中でのコメント、ありがとうございます。
ビルには欠陥があったみたく、そうなると人災。なんだかいたたまれない気持ちになります。
行方不明の若い方たちにまじって、滑川(なめりかわ)高校長を退職された後、外専に入学された方がいらっしゃいます。僕は今回の件で初めてその方を知ったのですが、実に実にすばらしい方です。
季節の変わり目、ご自愛を
Commented by tubomim at 2011-03-05 20:23
毎日希望と期待を持ってニュースを見ています。本日になってもまだまだ希望は捨てないでいたい。
Commented by tiaokumura at 2011-03-06 18:58
tubomimさま、多くの方々の希望と期待も叶わず、現地当局は救援活動をあきらめたようです。行方不明者の中には、私の高校の後輩2人もいます(60代女性)。
倒壊ビルの話を聞くと「人災」の可能性もあるようで、いたたまれまれない気持ちに駆られます。日本・中国・ニュージーランドなど、いかなる国でもこのような悲劇が再び起こらないことを祈るばかりです。
Commented by tubomim at 2011-03-06 23:04
先生の後輩でした?!尚更と沈痛な思いをいたします。
Commented by tiaokumura at 2011-03-09 19:20
tubomimさま、そうなんです。中国もありますか、同窓会名簿。私の高校の同窓会名簿に平内さん・佐藤さんが載っています。
教育者としてもすばらしい業績を残された平内さんのご冥福を祈るばかりです。
日本なので新聞もTVもどうしても日本人中心の報道ですが、中国・台湾の方々も行方不明のままなのですよね。中国の救援隊も現地にはいっていましたよね。国際協力を通じて日中の相互理解が進めば、それは不幸中の幸いです。
Commented by tubomim at 2011-04-10 09:30
その後日本にも大地震、津波などに遭われ、ニュージーランドのニュースが少なくなりましたが、結局残念な結果になりましたね。
同窓会の話ですが、私の場合、大学の同級生より、中学校や高校の同級生との連絡が多い、お互いに心配したり、助け合いしています。先生の場合はいかがでしょう。先日同じようなことを大学時代の担当の先生に話したら、大学に入ると、就職や恋愛とか競争があり、隠すことが増えてきたのではと教えてくれました。
Commented by tiaokumura at 2011-04-13 07:46
tubomimさま、同窓会って、大学より高校、高校より中学、中学より小学のほうがざっくばらんに語り合えるのかもしれませんね。自分がより幼い頃のほうがノスタルジーみたいのがより強いのかも。それと上級学校になればなるほど利害関係が出てきたり現在の地位・環境格差に敏感になるのかもしれませんね。
クライストチャーチ、確かにそうですね。今月「慰霊祭」のようなものがあるはずです。一富山市民として出席させていただこうと思っております。


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