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丈草句抄(中)

「丈草句抄(上)」はこちらです。
(注1)本記事は多くを堀切実・編注『蕉門名家句選』(岩波文庫)に拠っている。堀切実先生に厚く感謝申し上げます。
(注2)句や原文の引用にあたっては、読みやすさその他の理由で仮名遣い・用字用語など奥村の恣意によったところがある。ご容赦願いたい。

内藤丈草(ないとう・ぢやうさう。寛文二(1662)-元禄十七(1704))。尾張の人・俳人・芭蕉十哲の一人。
彼が生きた時代は寛文・延宝・天和・貞享(貞享暦が採用)・元禄になる。彼が没した約20日後、宝永に改元、以後正徳・享保・元文と続く。碩学・小西甚一によれば「享保から宝暦にかけての約半世紀は、俳諧史における藝術的暗黒時代」(『日本文学史』講談社学術文庫版p160)になるのだから、丈草が生きた時代は幸せな時代だったのかもしれない。
近松と西鶴が競い合ったのは丈草の20代、生類憐愍令は丈草26歳の時、赤穂浪士の討ち入りは丈草40歳の時になります。丈草は、近松・西鶴、生類憐愍令、赤穂浪士をどう見てたんでしょうね。
芥川龍之介(1893-1927。俳句に「青蛙おのれもペンキぬりたてか」などがある。岩波文庫に昨夏刊の『芥川竜之介俳句集』あり)に『枯野抄』(1918年)という短篇がある。青空文庫ではこちらで読めます。『或日の大石内蔵助』の前年の作品です。芥川26歳、芥川の中期の作品に位置づけられるのでしょうね。因みに僕が高校時代に好きだった『煙草と悪魔』は1916年、同じく『地獄変』『奉教人の死』は1918年です。
芥川の『枯野抄』執筆動機に「漱石山房」があったでしょうね。単純に図式化すれば「芭蕉=漱石、丈草(芥川では丈艸)=芥川」とでもなるのでしょうか。芥川一流のシニスムで芭蕉の臨終を描く。「花屋日記」(後世の偽書。子規も芥川も小宮豊隆もそれを承知の上で高く評価している)が冒頭に引用されそこには「丈艸」もあるが、作品中では丈草は芭蕉・木節・治郎兵衛・基角・去来の次に登場する。
・・・基角の後には、法師じみた丈艸が、手くびに菩提樹の珠数をかけて、端然と控へてゐたが、・・・(「青空文庫」より引用)
芥川は第8段で、師の死に臨んでの丈艸の心境をかなりな分量を割いて描写しています。誤解を招く前に念のために述べておきますが、芥川は丈草の俳諧を高く買っています(ひょっとしてそれは対丈草の芭蕉の評価以上かもしれない)。
芥川『枯野抄』の話が長くなりましたが(汗)、僕が芥川も丈草も好きだということを述べたかったのです。芥川は、彼なりに解釈した「真実」を描こうとしたのでしょうね。芥川『枯野抄』、若い方には用字・語彙・文法・時代背景などに抵抗を感じるかもしれませんが、人生で1回くらいは読んだほうがいい芥川作品です。20代で読むのと60代で読むのとでは、読後感、きっと違ってる。

芭蕉と丈草」について略年譜を作っておく。なお、丈草の1級史料に向井去来「丈艸誄」があり、誠に便利な時代になったんですねぇ、ネットのこちらで読めます。
寛永21(1644)年 松尾金作(後の宗房・桃青・芭蕉)、伊賀に生まれる。
寛文2(1662)年 内藤林右衛門本常(後の丈草)、尾張に生まれる。
延宝3(1675)年 宗房、江戸に下る。
延宝8(1680)年 桃青、深川に芭蕉庵を結ぶ。
元禄2(1689)年 芭蕉、3月27日に「おくのほそ道」出立。「行く春や鳥啼き魚の目は泪」
           芭蕉、9月6日、大垣着。「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」
           この年、丈草、去来の落柿舎において芭蕉に入門。
元禄4(1691)年 芭蕉、江戸に帰る。
元禄7(1694)年 10月12日、芭蕉が亡くなる。去来・丈草らが看取る。
芭蕉没後の丈草は、「三年の心喪に服して木曽塚無名庵に籠り、さらに近くの竜が丘仏幻庵に移って無為静安の生涯を送」(堀切実より引用)り、
元禄17(1704)年 丈草、亡くなる。

丈草句抄
①うづくまる薬の下(もと)の寒さかな
元禄7年10月11日夜、芭蕉が夜伽の句を門人たちに勧めたときの丈草の句。芭蕉は門人たちの句の中でこの句のみ「丈草、出かしたり」とほめた。
②以下は、芭蕉没後の作。掲出順・作句年は堀切実・編注『蕉門名家句選』(岩波文庫)に拠る。
②昼寝してみせばや庵(いお)の若葉風(元禄8年)
③聖霊(しょうりょう)も出(で)てかりのよの旅寝かな
④朝霜や茶湯(ちゃとう)の後の薬鍋
⑤春雨や抜け出たままの夜着(よぎ)の穴
⑥陽炎(かげろう)や塚より外に住むばかり
⑦石経(せっきょう)の墨を添えけり初時雨(しぐれ)
⑧帰る空なくてや夜半(よわ)のやもめ雁(かり)
⑨入る月や時雨の雲の底光り(元禄13年)
⑩木枯らしの身はなお軽し夢の中

堀切実・編注『蕉門名家句選』(岩波文庫)に所収の丈草句は110ですが、その内の約80句は芭蕉没後の作で、その内のかなりの数が蕉翁を思慕する句。上記②~⑩はその中から奥村が恣意により抄出した。もし「一句を選べ」と言われれば、「木枯らしの身は竹斎に似たるかな」(狂句木枯らしの身は竹斎に似たるかな)を踏まえた、
木がらしの身は猶かろし夢の中
でしょうね。
-続く-

参考文献
堀切実・編注『蕉門名家句選』(岩波文庫。1989年9月)
小西甚一『日本文学史』(講談社学術文庫。1993年9月)
歴史読本 臨時増刊『万有こよみ百科』(新人物往来社。昭和43年12月)
大日本人名辭書刊行会『大日本人名辭書(三)』(講談社学術文庫。昭和55年8月)
by tiaokumura | 2011-02-16 19:59 | 言の葉つれづれ | Comments(2)
Commented by のぶ at 2011-02-18 09:24 x
 毎度ご無沙汰しています。6日に近畿富中・富高同窓会の新年会が大阪でありました。30名の諸先輩方が集まり、和気藹々と故郷の話題などで過ごしました。
 3月の20日から22日まで、芭蕉が通った北陸道を歩きます。今回は親不知・子不知を通過します。富山で2泊します。
 息子がようやく就職の内定を東京で貰い、親子共々喜んでいます。
Commented by tiaokumura at 2011-02-20 12:53
のぶ様、まじ「ご無沙汰」かも。「あけおめ、ことよろ~」ですね^^。寺本先生のブログも更新稀で、いささか寂しく感じております。先生はお元気なんですよね。喪中で賀状交換できませんでした。
北陸路歩き、いずれかで食事ご一緒と思っています。22日夜は仕事ですが、メールで日程ご連絡ください。
息子さん、おめでとうございます。僕たちの頃とは比べものにならない就職難の時代。彼のこれからの人生に幸あれと願います。


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