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カルメン・マキ『時には母のない子のように』(YouTube)


昨日の朝日新聞「うたの旅人」
時には母のない子のように(寺山修司・作詞、田中未知・作曲、カルメン・マキ・歌)
でした。もう取り上げている歌だと思ってたのですが、まだだったんですね。

記事(文・斎藤鑑三、写真・麻生健)には寺山修司・寺山の母・九條今日子・田中未知(当時会社員だったんですね、知りませんでした。その後寺山の秘書兼マネジャー)・酒井政利・阿久悠・越路吹雪・白石征(出版社「新書館」で寺山担当)ら。前奏の波、茅ヶ崎海岸だそうです。
「誰もが無邪気な希望の持てなかった69年」(阿久悠)ではあったにせよ、今ふり返ってみると、若者にとって生きやすい時代だったんだと思う。「不機嫌な歌手」カルメン・マキ18歳、「ノーテンキな若者」僕23歳。
カルメン・マキ(天井桟敷でのオーディション当時は17歳)はこの曲(100万枚突破)で第20回紅白歌合戦に出場。その後、天井桟敷を退団しOZを率いてロックシーンに殴り込み^^。僕、アルバム、買いました。タイトルは忘れましたが、「真夜中の街角~」ってな歌詞のロックもあった。

斎藤鑑三記者の文より引用。
この夏、私とカメラマンはマキさんの「追っかけ」を続けた。東京・高円寺のライブハウスで、40年を隔てた「時には~」を聴いた。再録音とも違う、どこか吹っ切れた感じがあった。黒人霊歌「Sometimes I feel like motherless child」で歌い出し、「時には~」をはさみ「サマータイム」で終えた。
マキさんにとって、どの歌も因縁の歌だった。黒人霊歌は「時には~」を作るときに寺山が強く影響された歌で、「サマータイム」は彼女の人生を変えたLP「チープ・スリル」でジャニスが歌った。

記事中には、吉祥寺でのライブ写真も。

今朝の朝日新聞の「惜別」、初代若乃花・花田勝治さん、森毅さん(内村直之記者の名文。内村さん、ここんところずーっと朝日でみかけなかったんで、干されているのかと思ってたんですが^^ご健在でした)でした。
1969年に時計の針を戻してみれば、寺山修司さんは天井桟敷を主宰し、花田さんは後進の指導にあたり、森さんは京大教官だった。「古き良き時代」ってことになるのでしょうか。この年、『新宿の女』『坊や大きくならないで』『フランシーヌの場合』『禁じられた恋』『夜と朝のあいだに』『雪が降る』など(世相風俗観察会編『現代風俗史年表』河出書房新社に拠る)。

-「だれにも母があります。だれにも母がありました」(ウロ覚えです。間違ってたらご勘弁を)というサトウ・ハチロー(1903-73。佐藤紅緑の長男)の詩句を思い出す。
by tiaokumura | 2010-09-19 19:24 | 音楽 | Comments(2)
Commented by 哲ちゃん at 2010-09-20 12:43 x
朝日新聞の「惜別」欄で森毅さんのことを書いた内村直之さんは,現在は『メディカル朝日』という月刊雑誌の編集長です。忙しくしておられるようです。
できることなら,朝日新聞本紙の科学欄で,健筆をふるってほしいと思っています。
Commented by tiaokumura at 2010-09-21 19:20
哲ちゃん、内村直之さん、そういうことでしたか。医学・医療系の雑誌なんでしょうか。いつか大きい本屋さんで出会えるかも。朝日は「科学朝日」なんてのがありましたよね。今はない?
記事中の追悼→「惜別」に変えておきました。サンクス。


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