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越中八尾おわら風の盆(諏訪町)

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(9月5日午後・記)
蛍こいこい 八尾の盆に 夜の流しの オワラ 道照らせ

西新町から東新町に出、諏訪町へ。
アップした写真、「日本の道百選」に選定された坂道。写真ではよくわからないでしょうが、この位置からぐーっと下がって前方は目の位置少し下まで盛り上がっています。ここの町流しが風の盆撮影アングルとしては最高の風景になるのでしょうね。

おわらは300年の歴史がある。近代に入って明治・大正・昭和と、松本勘玄・小原萬龍・小杉放庵・若柳吉三郎・林秋路・吉井勇・江尻豊治・川崎順二・笠原輝芳・伯育男(いずれも故人)らによって、
叙情豊かで気品高く、綿々としてつきぬ哀調の中に優雅さを失わぬ詩的な唄と踊り(「越中八尾 おわら風の盆 ガイドマップ」)
へと高められた。高音で伸びやかな歌、胡弓が入ることで幽玄感が生まれた演奏、色艶(女踊り)とメリハリ(男踊り)の踊り-先人たちの血のにじむような精進が文化へと昇華させ、今日の隆盛をもたらしている。郡上八幡や阿波踊りやよさこいが「にぎやか系」であるのに対して、おわらは日本の祭りとしては数少ない「しっとり系・癒し系」になるのでしょうね。
越中八尾おわら風の盆は、本来は「風の盆のために残り362日を過ごす」と言われる八尾の人々のためのものなのだが、今では3日間で20万人を超える「観光客」が入り込むようになっている。高橋治『風の盆恋歌』(1985年)や石川さゆり『風の盆恋歌』(1989年)の影響が強いんでしょうね、おわらブーム。よそもそうでしょうが、ここでも観光客のマナーの悪さがよく指摘される。今回もフラッシュ撮影する馬鹿者が何人もいた。ぼんぼり・風・水音をも味わうことなんぞもはや不可能な観光客の多さ、なんでしょうね。
自分たちのための伝統だった踊りが、「見せもの」になりつつある。文化を「見せてもらう」という姿勢で来てほしい
お客さんに来てほしい半分、減ってほしい半分です
これだけのお客さんを無視もできない。いかに観光と伝統を両立させるか、永遠の課題です
朝日新聞に載る地元の人の声である。観光客の不平不満は多い。今年は幸い雨にたたられなかったようだが、ある年のこと、雨が降ってきて町流しが中断した。某観光客曰く「遠くから来たのに雨くらいでやめないでほしい」。こんな理不尽なことを言う観光客は、即レッドカードでしょうね。雨によって踊り手たちの疲労がいや増し、浴衣はもちろん胡弓・三味線・太鼓といった貴重な楽器が濡れる-その程度の想像力、ないんでしょうかねえ。

唄の町だよ 八尾の町は 唄で糸取る オワラ 桑も摘む
by tiaokumura | 2010-09-03 21:53 | 富山 | Comments(1)
Commented by かぐら川 at 2010-09-05 19:23 x
おわら堪能されたようで、よかったですね。
真ん中に懐かしい名前が並んでいますね。もちろんお目にかかったことのない古い時代の方もおられますが、それぞれにおわらを現在の形にするのに力を尽くされた方々ですね。
5月の曳山にもふれていただければ、江戸時代に培われた八尾の自治の精神〔富山藩内での自立〕が、明治大正期に生糸製糸などで栄えた富を背景に、芸に芽吹きを見せたそうした八尾の全体像をも見ることができるかも知れません。あえて言えば、おわら自身に300年の伝統はないと言っていいでしょうし、おわらに「胡弓」が加わったのが松本勘玄によって明治の末に・・・、であることを知れば、おわらがここ100年ほどの間に今の形になったことがわかるでしょう。むしろ私はそのことにすごさを感じます。
そして、その一旦つくられた芸の高みが血肉となりながらも休むことのない精進によって八尾の皆さんによって保持されていることに尊敬の念を覚えます。


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