人気ブログランキング | 話題のタグを見る

2000年夏・パリ日記(7)

Mercredi, 16 Aout 2000
6:30起床。昨日のいやな地下鉄事件を努めて忘れるようにする。パリ滞在も残りわずかなのだから。丸1日あるのは今日だけ
サンジェルマンデプレ教会(Eglise St.German des Pres)。セーヌ左岸に残るパリ最古の教会。鐘塔。ロマネスク様式。デカルトが眠っている。ルオーの葬儀がここで行われた。
サン・シュルピス教会(St.Sulpice)。ここはサンシュルピス教会の教区教会だが、それにしては大きい。日本で購入した本の1冊に「毎朝11時のミサでパイプオルガンの演奏」と書いてあったので、11時前に着。行きたかったカフェ・ドゥ・ラ・メリを広場の近くに発見して大喜び。教会前でホームレスの若者と会話。「ミサ」と言っても通じず(フランス語は発音が違う)困った。入口ドアの貼り紙を読むと、本日のミサは12:05の模様。案の定、11時になってもミサは始まらず。教会内見学。ドラクロワ(?)の壁画。献灯など。ミサ開始。カソリックだからだろうかブラジリアンと思しき人も。50人ほど参列。暫く後方で参加していたが、異教徒がいるのも失礼かと思い、途中でそっと退席。聖水(?)のところで待機。も飲んでみる。ミサが終了してもパイプオルガン(6588本のパイプ。据付場所わからず)演奏なく、司教(?)は事務室で引継ぎ事務に。残念ながらパイプオルガン演奏を聞くのはあきらめる。
カフェ・ドゥ・ラ・メリ。サン・シュルピスの合間を縫ってカフェタイム。最初に注文を聞きに来たムッシュー(「ギャルソン」と言う言い方はしなくなっている」との事前情報)に朝日新聞(00年4月22日)の記事を見せると、ルネ・デルバールさんを呼んでくれた。「ムッシュー・デルバール。This article brought me and my wife to you」というようなことを言って切抜きを見せると、自分が写っているのでわかってくれたのだろう、喜んでくれた。記事の写真では老けて見えたが、改めて記事を読むと53歳。顔を見ると確かに若い。"Speak no English."と言われる。確かに。いわば「カフェ名人」に英語で話しかけるなんて最大の侮辱かも。カタコトフランス語とジェスチャーでこちらの気持ちを何とか伝える。伝わった。オーダーの受け方、僕たちが飲んでる間に時々寄せる視線、勘定など、なるほど朝日の記事通り。記事中にムッシュー曰く「よき出会いの場では、人は孤独でもいられるのです」。孤独と自由。記事と違っていたのは、デルバールさん以外にも2、3人若手のムッシューがいたこと。まわりの客が僕たちとデルバールさんの交流を羨ましげに観察してたようで、ちょっと鼻高々^^。デルバールさんと妻、ツーショット^^で、何枚か撮る。ロラン・バルト。カフェ・ドゥ・マーゴは通りから眺めただけ(俗っぽい印象)だったが、このカフェにたどり着けて、デルバール氏に会えて&話せて、今回のパリ旅行の最高の経験の1つだった。
教会グッズショップ(←こんな言い方があるかどうかわからないが。学生の頃、東京四谷にこの類の店があって、Kとたまに行ってた)。カフェ・シドンに聖書、宮崎氏にブックマーカーなど、いいおみやげを発見・購入。店の女性にミサのことなどいくつか質問。親切丁寧に答えてくれた。
(同日、続く)
by tiaokumura | 2006-03-25 09:20 | 追悼 | Comments(0)


<< 2000年夏・パリ日記(8) 2000年夏・パリ日記(6) >>