人気ブログランキング | 話題のタグを見る

齋藤正彦『日本語から記号論理へ』(日本評論社)

齋藤正彦『日本語から記号論理へ』(日本評論社)_f0030155_20454617.jpg
齋藤正彦(1931-。東京大学名誉教授)
『日本語から記号論理へ』
2010年5月30日 第1版第1刷
日本評論社
1900円+税

先週、わが親友哲ちゃんから郵便物が届いた。彼の出版社の封筒入り。中に入っていた本がアップした写真の本です。哲ちゃんからの「謹呈」(照)。

齋藤正彦先生(当ブログは敬称略が原則ですので、以下敬称を略させていただきます)は初めて知るお名前。本書略歴・Wikipedia・哲ちゃん情報などで以下ご紹介。
1931年生まれ、齋藤樹の二男。齋藤邦彦は実弟、宮沢喜一は親戚筋。フランス留学。森有正・辻邦生・矢内原伊作・高野悦子らと相前後するのでしょうね、フランス。今だったらJALかエールフランスで成田→パリ一っ飛びでしょうが、当時は、横浜港を出港し、赤道を越えインド洋→紅海と進み、マルセイユ入港だったんでしょうね、たぶん。齋藤は、パリ大学・理学博士。主著に『線形代数入門』(東京大学出版会。1966)・『はじめての微積分(上下)』(朝倉書店。2002・2003)・『はじめての群論』(亀書房・日本評論社。2005)・『数のコスモロジー』(筑摩書房。2008)など。
本書は、「この本の内容ははじめ『数学セミナー』に連載されました(2009年4月号から2010年3月号まで)。それに加筆・訂正したものが本書です」(p172)ということです。

せっかく哲ちゃんから「謹呈」されちゃった本^^ですから、これは読まねばなりません。でも難しすぎ~(泣)。数式なんてほとんどがチンプンカンプン。まぁとりあえずはわかりそうなところを拾い読み中です。
川端康成(1899-1972)がノーベル賞をもらったときの受賞演説で「美しい日本の私」っての、ありましたよね。川端では「『美しい日本』の私」(美しいのは日本)だったのでしょうが、「美しい『日本の私』」(美しいのは私)とも意味がとれるという、ちょっとした揶揄もあったように記憶しています。「両義文」(としておきますが、二通りに解釈できる句・節・文)には他に「ポチが好きな太郎」、一休さんの「このハシ渡るべからず」「ふたえにまげてくびに・・・」、「警官は血まみれになって逃げる泥棒を追いかけた」なんてのもありますよね。
本書では日本語の両義文の例として「眠れる森の美女」が「第1章§1」に出てくる(pp2-5)。そういうところは僕でもなんとか食いついていけます、日本語教師だし地元の大学で2年間言語学を学んでますし。他に読める箇所としては、「大江山いくのの道・・」(p24)、「命題文と論理文」(pp26-)、堀口大学の訳詩(pp67-)、「風が吹けば桶屋がもうかる」(pp90-91)、「数学の日本語 または数学方言」(pp102-112)など。出てくる数式では「級数の和」「関数の連続性」あたりが少しわかるかなあ。
「あとがき」には、「記号論理」の参考文献として新井紀子『数学は言葉』が「叙述に工夫が凝らされていて、楽しく読める」と紹介。新井紀子、勝間和代がブログでも関わっているんですよね、確か。

本書をつまみ読みしても感じることなのですが、齋藤正彦先生のご年代の方々には、「教養」が息づいている。漢文の素養・外国語力・想いを過不足なく伝えられる文体・専門の深い知識の源泉としての人文学・世界全体を見通せる構想力・的確な射程距離の想像力・理系文系融合力など、ボクたち戦後生まれにはとうてい持ちようもない、(まぁひっくるめてこう言うのもなんですが)「人間力」がある。ルネサンス型人間・ヒューマニティの具現者としての最後の世代と言えるかもしれない。

大学生時代、片桐ユズルの「意味論」関係からソシュールや時枝などにも進みました(チョムスキーや三上はまだ読んでいなかった)。本書の「記号論理」って言葉から、そんな40年以上前のことも思い出しました。
ボクって情緒人間だから、「論理」って弱いなあ(恥)。

哲ちゃん、「謹呈」ありがとう!
TELでも話したようにようわからん箇所のほうが圧倒的に多い本ですが、「読める・わかる」部分を読む前より増やすつもりで読んでみます。美容とかダイエットとかじゃないけど、「ビフォー」と「アフター」ですね(激爆)。
by tiaokumura | 2010-06-03 20:45 | | Comments(6)
Commented by 哲ちゃん at 2010-06-05 09:13 x
写真入りで紹介してもらって,恐縮しています。
僕たちは「日本語」で「数学」を学んだり考えたりしているわけで,その接点のところに焦点を合わせて,これから数学を学ぼうとする人に向けて書いていただく,というのがこの本の発想でした。
そんなに難しい数学は出てこないので,ぜひしっかり読んでみてください。
Commented by 哲ちゃん at 2010-06-05 09:22 x
ちくま学芸文庫の『数のコスモロジー』は斎藤正彦先生のエッセイ集ですが,もともとは1983年に『数とことばの世界へ』というタイトルで,僕が編集して日本評論社から出版されたものです。
これには貴兄に読めるものが沢山入っていると思います。
この本が出たあと,斎藤さんと親しい杉本秀太郎さんに『数学セミナー』にエッセイを書いていただく機会があったのですが,その中で『数とことばの世界へ』に触れて,「近頃こんなに音締めのいい散文の束を手にした記憶がない。数と言葉に強い関心のある方々は,是非お読みください」と評していただいたことを,今も鮮明に憶えています。
Commented by 哲ちゃん at 2010-06-05 09:34 x
斎藤さんに「日本語と論理」という文章があります(文庫版『数のコスモロジー』に収録)。1970年に『数学セミナー』に書かれたものですが,この文章が1971年の東京女子大学の「国語」の入学試験問題に使われました。「国語」の入試問題なのに,横組みであったことや,数式が沢山書かれていることなどで,きっとビックリしたのでしょうね,「奇をてらった問題」だと,全国高校長協会から批判されたことがあります。新聞でも,そのことが取り上げられました。
出題したのは,水谷静夫先生(東女大)。そこで,『数学セミナー』誌で,水谷先生と斎藤先生に,全国高校長協会への反論の文章を書いてもらったことがありました(1972年3月号)。懐かしい思い出です。
興味があったら,それらの記事のコピーを送ります。
Commented by tiaokumura at 2010-06-05 19:13
哲ちゃん、立て続けに3件のコメント、ありがとうございます。どれも貴重な情報ばかりです。本当にありがとう!
①そうなんだよね、僕たちは所詮「日本語」で考え書いている。さすが哲ちゃん、すばらしい発想です。
②『数のコスモロジー』、来月注文本リストに入れます。
③「音締め」って、確か三味線なんかで使う音楽用語ですよね。チューニングってなことでしょうか。「音締めのいい散文」っていつかどこかで引用したい表現です。
④そういえばそういう「入試事件^^」ありましたね。記事コピー、ぜひお送りください。今はそういう見識のある大学入試出題する方っておられんのでしょうね。
名編集者の哲ちゃんにこんなこと申し上げるのも恐縮なんですが^^、「齋藤」姓ですよね。ま、ブログのコメントだから、「斎藤」でもいいのでしょうが。
Commented by 哲ちゃん at 2010-06-06 09:11 x
関連して,もう1つ2つ。
(1)ご指摘の「齋」と「斎」。文章を発表されるときには,ずっと正字の「齋」を使われていたのですが,最近になって,やさしいほうの「斎」にしようと言われて,『はじめての群論』では「斎藤」と表記しました。ところがまた,今回は「齋藤」にしようということになった,という次第です。
(2)むかし中央公論社から「日本語の世界」という十数巻のシリーズが出ていました(のちに文庫になった?)。その何巻目かに,杉本秀太郎さんが書かれた『散文の日本語』という1冊があり,その中で齋藤正彦さんの文章だったか,手紙(はがき?)だったかを例として取り上げておられたのを思い出しました。
いまその本が手許にないので,いずれ近くの図書館で確認して,またコメントします。
Commented by tiaokumura at 2010-06-06 11:12
哲ちゃん、コメントありがとう。
「日本語の世界」はいいシリーズで、何冊か持ってます。杉本『散文の日本語』、すっかり忘れてたのですが本棚を探したらありました(例によって「買うだけ」だったかも^^)。大槻鉄男担当の「第八章 書簡文」が哲ちゃんのご指摘にあたります。コピーして明日にでも郵送します。ご査収を。
「齋藤」姓、例の齋藤某でポピュラーになりましたが、「齋藤」「斎藤」はそういう事情でしたか。固有名詞っていろんなことがあるものですね。
斎藤先生と同世代になるでしょうか、中井久夫『私の日本語雑記』読んでます。「図書」に連載されてたのがベース。僕には難しすぎますが、お薦め本です。もう買ってるかな。


<< 新しいパスポート 映画『パキスタン ストリート ... >>