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杉田欣次館長、『潮騒』を語る@隠し文学館 花ざかりの森

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この間往復ハガキで申し込んでいた「館長、『潮騒』を語る」に当選し(ラッキー!)、今日3月7日、「隠し文学館 花ざかりの森」に聴きに行って来ました。

自宅を9時20分頃出る。運転下手だし方向音痴だしナビなんてシャレたもの車についてないしで、まぁ40分は優にかかると思って早目に出たんです。ところが、な・な~んと、道に迷うこともなく9:35頃にはもう「隠し文学館 花ざかりの森」に着いちゃいました(激爆)。雨中、駐車場の車の中でしばし待機。10時開館・10時半講話開始ですもんね。そうしたら10時前に杉田欣次館長が外に出てこられ、入ってもよろしいとのこと。僕が名乗る前に僕の名前を呼ばれ、このブログのこともおっしゃる。ビックリです。僕なんか3回会っても名前と顔がなかなか覚えられんのに、杉田さんってずいぶん記憶力のいい方なんでしょうね。
玄関で靴やコートを脱ぎ、中に入る。ここを訪れるのは3回目です。「隠し文学館 花ざかりの森」は当ブログで何回か取り上げ、同館のHPは右にもリンクしてあります。

記念講話を聴く前に、館内展示を拝見。三島由紀夫(1925-70)が鷗外の文体を高く評価していたこと、初めて知る。前々回・前回と共通する資料類展示もありますが、今回は『潮騒』関連の資料充実。

10時半、2Fで記念講話「館長、『潮騒』を語る」。
以下その時のメモを元にして書く。音(講話)で聴いているので表記・データなどに間違いもあるかと思います。杉田館長のお話から大きく外れている箇所はないかと思いますが、「文責・奥村」ということでご容赦を。

初めに文学館設立の経緯。よく聞かれる2つの質問の一つ「三島文学に魅かれたきっかけは?」には「『金閣寺』に自分の幼いときのぎこちなさを見たから」とのこと。たぶん「吃音」のことをおっっしゃってるのだと思う。もう一つ「なぜ文学館を?」には「定年しその退職金が充てられ、家族の協力があったから」だそうです。
開館初年度は三島の大ざっぱな全体像を展示し、昨年2年目は「亀井勝一郎vs三島由紀夫」を中心にし、今年3年目は「『潮騒』を巡って」つまり『金閣寺』『仮面の告白』『潮騒』の三島人気作品ベスト3の一つにした。昨年は昭和25年前後、今年は昭和30年前後で、来年は昭和35年前後になろうか、とのこと。

以上がイントロにあたるでしょうか。続いて「『潮騒』の成立を巡って」。
『潮騒』はこれまでに5回映画化されている。『潮騒』は昭和29年6月10日に新潮社から「書き下ろし長編」として刊行。『潮騒』は三島の小泉八雲(Lafcadio Hearn1850-1904)やギリシャへの関心から成立した。そのことを、ここが杉田さんのすごいところなんでしょうね、川端康成(1899-1972。「三島由紀夫」という筆名は康成が命名)への三島の書簡から丹念に跡付けられる。昭和20年7月18日付・平岡公威名で三島は「近松、南北、鏡花、八雲」らへの関心を述べる。同21年1月14日付(三島の誕生日)にも「小泉八雲」が出る。21年4月15日付・25年3月18日付などで、ハーンの「日本人は東洋のギリシャ人」や竹山道雄『ローマにて』などに触れる。三島が引くハーンによれば、自然や人生を謳歌する点が「日本人は東洋のギリシャ人」になるようである。28年3月10日付-三島は取材のために神島(『潮騒』では「歌島」)を訪れている。この手紙で三島は、『禁色』のようなデカダン小説とは正反対の健康な書き下ろし小説を準備中であることを師・川端康成に述べる。31年11月1日付には、「1週間だけニューヨーク・タイムズのベストセラーになった」旨書き綴る。『潮騒』は31年(1956年)10月にクノップ社から英訳されたんですね。
昭和27年4~5月、三島はロンドン・ギリシャ・イタリア旅行。同年7月「ギリシャ・ローマ紀行」、10月『アポロの盃』(新潮社)を書いている。三島が『潮騒』の藍本にしたロンゴス『ダフニスとクロネー』、呉茂一訳のが今回展示されてました。
1953年、三島は『潮騒』の準備。3月・8月と神島に取材。9月、『潮騒』執筆開始、1954年1月脱稿、6月10日発刊。10月30日には「91刷」ですから、すごいベストセラーです。12月「第1回新潮社文学賞」(亀井勝一郎も選考委員の一人)を受賞。
後に佐伯彰一(1922-。富山県出身)が『潮騒』の解説で書いたように、三島29歳の作品『潮騒』は三島文学の中で「特異な位置」にあると言えるでしょうね。三島自身の『潮騒』に対する発言は、杉田さんによれば3つあるそうです。まず「ロケ随行記」。東宝によって映画化されたとき、三島は初めてロケに立ち会った。そこで三島は、「行為の意味」の付与者たる自分(原作者)と「行為の体験者」たる俳優とのズレについて興味深い発言をしている。杉田さんは『明星』(!)も資料としてお持ちなんですね、会場、どっと沸きました。三島は『明星』で映画出演者や一般の若者と座談会。そこで三島は自分と『潮騒』は「似たところが一つもない」と断じているそうです。そりゃそうでしょうね。3つの二つ目は1956年9月「潮騒のこと」、三つ目は1965年(三島40歳)7月「『潮騒』執筆のころ」。後者で三島は藍本の牧人を漁夫に変えたこと、原作のプロットのこと、日本の「村落共同体」(日本の神々)と古代ギリシャ(ギリシャの神々)が相通じること、ハーンの「日本人は東洋のギリシャ人」などについて書いている。
『潮騒』とほぼ同じ頃に三島はモノドラマを書いている。昭和30年、文学座によって上演。人生に不満を抱く灯台員が密航船からの銃弾によって死ぬというストーリー。彼は死によって世界・太平洋とつながり得たという、いかにも三島な世界である。
約1時間の館長講話。僕のような三島にも文学一般にも素人な者にも、わかりやすく楽しく拝聴できる講話でした。

三島由紀夫の自死(広辞苑では「自裁」、大辞林では「割腹自殺」)からちょうど40年。今年は三島を巡るさまざまなイベントや再評価がありそうな年です。僕が三島を読むことはほとんどないと思うが、三島は死後にも杉田欣次さんのような方を持つことができて実に幸せなのではないか、とふと帰り道思った。
杉田欣次さま
本日はありがとうございました。

来年は『憂国』、2012年は『サド侯爵夫人』、2013年は『豊饒の海』あたりになるのでしょうか。来年以降もぜひ「館長講話」に申し込みたいと思っております。どうか当たりますように!
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
by tiaokumura | 2010-03-07 11:36 | 富山 | Comments(0)


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