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これが最後の「裁判員制度」批判

菅家利和(すがや・としかず)さんのことを取り上げた6月5日付の朝日新聞社説の最終段落は、以下のとおりだった(原文縦書き。便宜上番号を付す)。

①プロの裁判官といえども判断を誤ることがある。②私たち国民も法廷や評議の場に裁判員として参加する時代になった。③常識を働かせて自白や証拠を遠慮なくチェックする。④その責任の重さを思う。

これを読んで、ずいぶんノーテンキな論説だと思った。
①については全くその通り。戦前はともかく戦後の裁判で、無実のまま死刑判決を受け執行された例はゼロなのだろうか(免田栄さんたちのように死刑台の恐怖から生還された例がある)。「判断を誤ることもある裁判官」に死刑判決はできるのだろうか。「裁判官も誤る」ことは死刑廃止論者の大きな論拠でしょうね。
②は「参加する」→「参加させられる」じゃないだろうか。草の根の国民運動が裁判員制度をもたらしたのではない。法曹界と国会による「陰謀」とまでは言わないが、国民不在のうちにシステムが開始されたのである。私たち庶民は他人を裁く能力も勇気もないからこそ、その道のプロを税金で雇っているのではないだろうか。「裁判員制度」を導入するのだったら、私(たち)の何倍・何十倍もの収入をダウンしてもらわなければ筋が通らない。
③ができるくらいなら、誰も苦労はしない。論説氏の言うようにこれまで「法廷や評議の場」で常識が働いとらんだとしたら、それは法曹業界の住人たちの責任である。なんで我々が貴重な時間を「自白や証拠のチェック」に割かなければならないのか。「遠慮なく」ったって、検察官も裁判官もその道のプロ。そんな相手にボクのような小心者はビビって何も言えないだろう。
かなり前のことですが、僕は検察審査員になったことがある。「裁判員」と同じで選挙人名簿から無作為に抽出されたんでしょうね。当時はヒマもあったし好奇心もあって、「なにごとも経験」と思って引き受けた。1年くらい務めたか。検察審査会というのは、不起訴になった事例についてそれが適当だったかを審査する。12人のメンバーが半年ごとに半分ずつ交代する(のだったと思う)。いろんな方が選ばれてきていて、世間知らずの僕にはそれはそれでいい経験になった。僕は塾をやってるからってことで副委員長?みたいなポストになり、委員長が不在のときには司会進行役。守秘義務もあるので詳しく述べられませんが、詐欺と交通事故の事例を扱っていた。膨大な量の裁判資料。家に持ち帰って読むことはできないので、審査会で僕なんかが朗読役。事務局が解説したり必要な法令を用意したりして進行した。法廷を見学したこともある。「裁判員」はそんな「検察審査員」とは比べ物にならないくらいのプレッシャーがある。「判決を下す」んですもんね。検察審査員は、その点、不起訴になっている事例について、起訴相当か不起訴相当かの判断を下すだけ。朝日新聞論説氏は簡単に「常識を働かせて自白や証拠を遠慮なくチェックする。」とおっしゃってますが、言葉では簡単だがそれを実現するためには裁判員の過重な負担が要求される。
④の主語は誰? 筆者と「私たち国民」なんでしょうか。勝手に裁判員を押し付けられて、何が「責任」なんだと僕は言いたい。「守秘義務」に違反したら罰則があるのだから、責任・義務ばかり問われても「私たち国民」は当惑するばかり。それとも、「裁判員」は「国民の権利」だとでも言うのだろうか。なし崩し的に「裁判員制度導入」になった点については、マスメディアの責任もあると思う。

「一事不再理」を気取るわけじゃありませんが、このブログで「裁判員制度」について触れるのはこれで最後にします。願わくば、システムがうまく機能しなかったら、その時は早めに「裁判員制度」を撤回する勇気を、法曹界・政治家に持っていてほしい。
「裁判員」が「冤罪」に加担することのありませんように。
なお、万が一僕が「裁判員」に選ばれたら、この記事のコピーを富山地方裁判所に提出して、裁判員拒否します。
by tiaokumura | 2009-06-07 15:13 | このブログのこと | Comments(8)
Commented by 哲ちゃん at 2009-06-07 20:38 x
「裁判員制度」は,僕も大反対です。何年か前,この制度導入が決まって,基本的には誰も拒否できないと知ったとき,ものすごく腹が立った。これはまるで戦前の「赤紙」=徴兵制と同じではないか。やりたくない人間でも,むりやり引っ張り出す――それだけで,この制度に反対するに十分な理由だと思いました。
2007年8月に,出たばかりの西野喜一著『裁判員制度の正体』(講談社現代新書)を読んで,ずいぶん考えさせられた。この著者は元判事をなさっていたらしい。
僕はずっと,もし運悪く「当選」したら,断固拒否するため,どう行動すべきかを考え続けています。とくに名案はないけれど,ともかく断固拒否です。(何か理由をいうとすれば,「死刑廃止論者」であることを,全面に出そうかな)
Commented by 哲ちゃん at 2009-06-07 20:39 x
[コメントの続きです]
新聞やテレビなどマスコミは,この制度が法律で決められてしまった以上,それを破れとか拒否すべしなどとは口が裂けても書かないし,言わないはず。それがマスコミの限界です。――戦前のマスコミの姿勢を想い起こそう。
そもそも,選挙人名簿から無作為に抽選する,というけれど,くじ引きは非公開だから,そこに何らかの恣意性が入る可能性を否定できない。思想犯を見せしめに戦場に駆り出したのと同じことが,行われる可能性があると,僕は睨んでいます。
世の中には,選ばれたらやってみたい(むしろ,ぜひ選ばれたい),と思っている人もあるようで,どうしても制度を続けるなら,そういう意思を持つ人だけでやってほしいものです。
裁判員制度については今日が最後とのことなので,僕も長々とコメントを書きました。まとまらないものになって,申し訳ない。
Commented by もんもん at 2009-06-08 20:06 x
>選挙人名簿から無作為に抽選する

実はこの抽選方法のせいで、裁判員制制度は自分自身に違反してるんです。裁判員制度では、国民・選挙民の中から裁判員を選出することが定められていますが、日本国籍と選挙権を持ちながら抽選対象にならない人たちがいます。それは・・・

「海外に住民票を置いている日本人(日本国籍保持者)」です!

彼らは在外選挙人名簿に登録されて国籍も選挙権も持っているのに始めから裁判員の抽選対象にならないのです。これって「日本に住んでいるか否か」を理由とした門地・居住地による差別ではないですか? 
Commented by もんもん at 2009-06-08 20:11 x
>くじ引きは非公開だから,そこに何らかの恣意性が入る可能性を否定できない。

そう、抽選方法自体が「日本国居住者を差別」する点で既に恣意性が入っているのです。
Commented by tiaokumura at 2009-06-09 20:43
哲ちゃん、コメントありがとう。反対論にもいろいろな根拠・視点があるものなんですね。ずいぶん参考になりました。
いろんな制度・システム、それがうまく機能しなくってもなかなか元に戻すことはできない。官僚支配も含めて、日本の「悪しき習慣」なんでしょうね。
西野喜一著『裁判員制度の正体』(講談社現代新書)は、読んでません。専ら新聞報道でものした当記事ですが、既にいろんな「裁判員制度」関連の本が出てたのでしょうね。
Commented by tiaokumura at 2009-06-09 20:46
もんもん様、ご訪問並びに初コメントありがとうございます。
「海外に住民票を置いている日本人(日本国籍保持者)」って気がつきませんでした。定額給付金は彼ら・彼女らに「給付」されたんでしょうか。うちの学生たちは「外国人登録」先の地方自治体からもらっています。
拙いブログですが、これからもご訪問・コメント、よろしくお願いいたします。
Commented by 名称未設定 at 2009-08-27 10:17 x
今度の衆議院選挙と同時に、最高裁判所の裁判官の信任投票があります。裁判官の多くは、最初は裁判員に反対していたのに、途中で賛成に変えました。そこで、全員不信任に投票するのはどうでしょうか。
Commented by tiaokumura at 2009-08-29 21:33
名称未設定さま、ご訪問ならびに初コメントありがとうございます。
「裁判官の多くは、最初は裁判員に反対していた」というのは知りませんでした。別の動きで1票の格差を指摘した全面意見広告が先日の朝日新聞に載ってました。違憲じゃないとした裁判官に×をつけようといった趣旨の内容。これまで「無風」だった信任投票、明日は新しい胎動があるかもしれませんね。


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