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花街情緒を楽しむ

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本日、「第2回 江戸の座敷芸を観る会 夜桜や~」に参加。

11:10頃自宅を出る。産業道路を走り東町の村田家駐車場に11:25頃車を入れる。
今回の催しは北日本新聞3月26日付の記事で知った。「花街情緒 楽しんで」「富山・東町の村田さん 29日 座敷芸鑑賞会」という見出し。記事の最後に電話番号があったので早速電話。ところがもういっぱいで参加は無理というつれない^^お返事。電話口の向こうの村田ゑみさん(「村田家」のおかみさん。記事にある年齢は60歳で、ご主人との写真つき)に「そこをなんとか」とお願いしたら「一人だけなら」ということでメンバーに入れていただいた。当日は昼食を村田家で済ませた後、向かいの旧老舗料亭で鑑賞会という段取り。「お酒も飲みたい」と申し出たら、苦笑まじりで断られました(激爆)。
そんな次第で28日昼前に村田家に入る。名前を名乗りおかみさんに「写真で見るよりおきれいです」と申し述べる。こういうの、ワシって世慣れとるかも(嘘爆)。ぞうすい+山かけそば。実はこれもボクのワガママ。本当は1品しか食しちゃいけないのですが、「お金を出してもいいから両方食べたい」って駄々をこねたら(爆)、おかみさん、今度も苦笑いされながら大目に見ていただきました。
食事を済ませ、向かいに入るのもまだ早すぎるので、道路でうろちょろ。写真は会場の「老舗料亭」前で村田家の息子さんに撮っていただきました。

皆さんのところにも「新地」ってあることでしょうね。全国的には曾根崎新地や北・飛田・中村・松島なんてのが有名かも。富山市東町には東新地があった。
富山では明治5(1872)年に桜木町が誕生。ここは今でも富山の歓楽街です。そして明治28(1895)年に誕生したのが東新地。日清戦争の頃ですね。桜木町が芸妓がいて旦那衆や社長や文化人が対象だったのに対して、こちら東新地は娼妓がいて一般庶民が対象だった-私の理解を図式化するとこうなるでしょうか。間違ってたらごめんなさい。「芸は売っても体は売らぬ」桜木町vs「体は売っても心は売らぬ」東新地-どちらの地にも女性の心意気が息づいていたことでしょうね。所詮男というものは女の掌(たなごころ)の中で遊ばされていただけなのかもしれませんね。
子どもの頃、「あずましんち」(「あずましんちゅ(う)」とか発音してたかもしれない)は例の4文字言葉と同じで、口に出してはいけないタブー語だった。っても、悪ガキたち、意味もわからんまま、秘密めいて口に出していましたけど(激爆)。
昭和32(1957)年4月、いわゆる「売春防止法」が成立、「赤線の灯は消えた」。僕は小学校高学年だったでしょうか。従って東新地で童貞を捨てることもなく(激爆)、それどころか大人たちの秘密基地・東新地に一歩も足を踏み入れることもありませんでした。

苦界に身を沈めた多くの女性たちを思うと(廃娼運動も自由民権派やキリスト教系、婦人運動家たちによって行われたが実効を得られぬままだった)、浮かれているわが身が恥ずかしいのですが、でもやはりここ東新地には「文化」があったのだと、それは断言できる。
by tiaokumura | 2009-03-29 12:09 | 富山 | Comments(4)
Commented by kaguragawa at 2010-03-20 20:28
きのう東町の「川柳」さんでひととき過ごしました。
「富山市+東新地」をgoogleで、検索したところ奥村さんのブログが出てきてちょっとびっくりしました。
Commented by tiaokumura at 2010-03-28 14:38
kaguragawaさま、「川柳」ってこの写真のところでしたっけ? 僕は柴田師匠の都々逸などを堪能しました。
東新地で僕のがヒットしたってぇのは、それだけそういう記事書く人がおらんからでしょうね。kaguragawaさんも富山市生まれなんですか?
Commented by kaguragawa at 2010-05-18 12:09
買ったまま積ん読になっていた本、加藤政洋『花街――異空間の都市史』(朝日選書/2005.10)を手にとってみたら、富山城内千歳御殿が桜木町に変遷していく過程が、東新地などのこともふくめて要領よく紹介されていました。トラックバックさせていただいた記事中の下川耿史・林 宏樹『遊郭をみる』(筑摩書房/2010.3)に掲載されている東新地の「絵はがき」は遠い深い世界へ誘ってくれます。     

あっ、そうそう私が生まれたのは「富山市東町」です!。といっても、早とちりしないでくださいね。かつて国鉄東富山駅の近くにあったF越の社宅です。たしか私の小学校の頃、富山の街中にも「東町」という同じ町名がある!、ということで、私の生まれた町は「東富山町」に町名変更になりました。
Commented by tiaokumura at 2010-05-18 21:42
kaguragawaさま、幼少のみぎり^^、僕たちはすれ違っているかも。小生は生まれは○友町、小学校はO××小学校です。F×越の社宅にも遊びに行ったことがあります。
コメントにあがっている2書、未読です。今の本の楽しみ一番は『古書逍遥』が出版されてそれを読むことです。


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