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友がみなわれよりえらく見ゆる・・・

3月は人事異動の月でもあるのでしょうね。
富山県副知事植出耕一君富山県議会副議長高平公嗣君富山県水墨美術館長中西彰君がそれぞれ就任されることを新聞報道で知った。3君は僕の高校時代の同期生です。

僕は中学時代にハンドボール部に入ってて、Y中学の植出君とは県体などで何度か対戦した。主将でジャンプシュートが得意だった僕(照)は彼らのチームに連勝したように思うが、それは記憶のでっち上げなんかもしれません、なんせ45年以上昔のことなもんで^^。彼とは進学先の富山高校で再会した。クラスは一緒になったことはない。高校にハンドボール部がなかったので3年生のときに植出君たちと部を創った。もし今も富山高校にハンドボール部があったとしたら、それは僕たちが創ったのです。進学校にあってそういう部を創るのは非常なエネルギーが要ったことを後輩諸君は肝に銘じておいていただきたい(嘘爆)。植出君は早稲田大に進学した。僕は彼とは進学大学は異なったが1年生の時に高田馬場の下宿に橋本君と同居していて、近くにあった植出君たちのアパートにマージャンを打ちにときどき通った。マージャンは彼のほうが遥かに強かったように記憶する。僕は2年生になって引っ越したので、その後は全くお付き合いはない。30年ほど前に僕は東京から富山にUターンして、それから彼が富山県庁に勤め出世街道を驀進しているのを新聞報道でときたま目にした。今回は石井隆一富山県知事のご指名で副知事である。
高平君とは高校時代に1度くらい同級になっているかもしれない。父君(故人)は参議院議員。彼は東京の私大に進学、東京で何度か会っているかもしれない。僕の記憶では前川清バリの歌を歌ったように思うがどうだろうか。僕の次姉が高平君の地元に嫁いでいて、姉から彼の話をときどき聞いた。県議会議員に立候補し当選、富山市の老舗割烹の娘さんと結婚など。僕は県議会議員選挙区が異なるので応援したことはない。何度か激戦を制して、今では副議長に就く経歴になったのでしょうね。
中西君とは中学から同期。中学入学時に出会った。僕の小学校時代の担任が城野義雄先生(故人。このブログでも何度か城野先生のことを取り上げています。素晴らしい先生でした)で、中西君の一番上のお兄さんにあたられる。そんなご縁があって中西君とは中学入学とほぼ同時に友だち付き合いさせていただいた。その後疎遠になったが、僕が富山にUターンして間もなく、彼が僕の家から割と近くの富山東高校で教師をやっているということを人づてに聞き、勤務先の高校を訪ねた。その後かなり経ってから、関口進先生(富山高校長などをご歴任。僕の2代前の富山国際学院長)の写真展を妻と観に行ったおり、偶然彼と出会ったこともある。昨年、中学同期会が立山山麓のペンションであったとき、同室で泊まった。中西君は高校長などを歴任し、今回の水墨美術館長就任である。2代前の同館長は僕の東京教育大学時代の同級生の山下君になる。

3君とも、苦労はもちろんあったことでしょうが、順調に人生を歩んでこられたのでしょうね。それぞれの新しいポストで全力を尽くされんことを切に願う。お三方はいずれも富山県の重要な公人としての職なので、世のため・人のため、思う存分その能力を発揮していただきたい。それだけの結果が出せる方々である。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ

石川啄木(1886-1912)の『一握の砂』所収歌。啄木の結婚は1905年で1908年上京、『一握の砂』は1910年刊行。掲出歌は啄木22歳頃の作になるのでしょうか。偶然ですが、啄木の妻は僕の妻と同名です。
1行目の嫉妬や絶望や閉塞感が2行目「花」・3行目「妻」によっていくらか癒される-そんなふうな解釈でいいのでしょうね。いや、通り一遍すぎる解釈か。
僕はもう62歳で植出耕一君・高平公嗣君・中西彰君に嫉妬心を感じるような年頃でもないし、「他人は他人、自分は自分」だし、花を買ってしたしむ妻もいないし、ぐうたら人生を送ってきた僕より他人が「えらい」のは当然だし、何よりも3君は「友」でもないのですが、3君のことを考えながら啄木の名歌がふと脳裏をよぎりました。
蛇足ですが上掲歌、僕は「友がみなわれよりえらく見ゆる日/花を買ひ来て/妻としたしむ」と覚えていました。啄木の花を買うことさえままならぬ貧乏生活を考えて「」と思い込んでたのでしょうね、たぶん。
by tiaokumura | 2009-03-27 20:37 | 富山 | Comments(0)


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