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内村剛介さん、ご逝去

評論家の内村剛介さん死去=抑留体験基に旧ソ連批判
 「生き急ぐ」「ソルジェニツィン・ノート」など旧ソ連の強制収容所の実態を暴く評論活動を行った評論家でロシア文学者の内村剛介(うちむら・ごうすけ、本名内藤操=ないとう・みさお)さんが30日午前2時41分、心不全のため東京都世田谷区の病院で死去した。88歳だった。栃木県那須烏山市出身。葬儀は2月6日午前10時から品川区西五反田5の32の20の桐ケ谷斎場で。喪主は長女冨永まなみ(とみなが・まなみ)さん。
 1934年、満州(現中国東北部)に渡った。哈爾濱学院卒業後、関東軍に徴用され、敗戦とともにソ連に抑留された。11年間、監獄や強制収容所で過ごし、56年に帰国。商社勤務の傍ら精力的にスターリニズム批判など文筆活動を展開し、旧ソ連研究などに大きな影響を与えた。北海道大、上智大教授を歴任。著書に「呪縛の構造」「ロシア無頼」、訳書に「エセーニン詩集」など。昨年出版された陶山幾朗編著「内村剛介ロングインタビュー」が話題を呼び、全7巻の著作集の刊行も始まったばかりだった。
時事通信より引用。ただし、元記事の「ハルピン」を「哈爾濱」に変えた-奥村)


ここのところ寝る前に陶山幾朗/編集・構成『内村剛介ロングインタビュー』(恵雅堂出版)を読むのが日課になっている。同書は1月8日に入手し、今年の「読書」の1冊目にした。僕の部屋は暖房はこたつだけで、こたつで過ごした後は布団にもぐりこむ。そして行儀が悪いことこの上ないのだが、敷き布団に腹ばいになり毛布2枚・掛け布団2枚重ねを首とパジャマとの間くらいまで引っ張り上げ、ときどき腰が痛くなると(僕は腰痛持ち)左右の脇腹を横にして、あるいは手がかじかんでくると布団の中に手をしばし収め・・・まぁそんな具合で一晩20ページくらいのペースで読み進め、ようやく「§11 君も、われも、やがて身と魂が分かれよう・・・・・・」に至った。
この本、僕には難しすぎなんですね。ソ連もロシア語もロシア人もロシア文学・思想も僕にはほとんど知識がない。でも、こうしてなんとか読み進んでくると、確かに知識の欠如は致命的なのだろうけれど、それでも今では眼前で内村さんと陶山さんのセッションを見ているような錯覚に陥るくらいになりました(僕のような素人にそうさせるのは、内容はもちろん、この本の編集・構成がすばらしいということです)。同書から1箇所だけ引用。
『生き急ぐ』は、僕の収集した幾編かのラーゲリ・フォークロアを、プーシキン、ブロッキー、吉本隆明、香月泰男らが取り囲んだ形で成り立っています。(p.378)

今日は3週連続の金沢通い。ビジネスバッグには『ロングインタビュー』。帰りの車中で読もうと思った。行きの電車では例によって讀賣・日経。讀賣の訃報記事で内村さんが亡くなられたことを知る。5時過ぎ帰宅、夕食後このブログをチェックしたら、宮明正紀さん(恵雅堂出版)のコメントがあり時事通信の訃報記事が紹介されていました。時事通信のネットサイトから取り上に掲げておきました。
僕は内村さんの本とは20代で『生き急ぐ-スターリン獄の日本人』(1967年9月刊。三省堂)と出会いその「すごさ」には触れ、しかしその後は全く読まず、昨年亀井哲治郎君(東京教育大学以来の友人)との待ち合わせ場所の池袋のジュンク堂で『内村剛介著作集』(恵雅堂出版)を目にし、その後彼から『ロングインタビュー』を読むように勧められ、購入し読書中。約40年ぶり・2度目の内村体験。そんな全く熱心でなかった僕ではあるが内村さんの「すごさ」は実感できているように思う。内村さんの「遅いデビュー」はたぶん須賀敦子さん(1929-98)のデビューと似ていたのではないだろうか。突然彗星のように現れたちまちのうちに支持者・愛読者・ファンを獲得する。「存在」してしまうと、もうずーっと前から存在していたかのような輝きを放つ「あること」の独自性。狭い範囲だけではなくいろんな方面に重く深い影響力があったのも、内村さんと須賀さんは似ている。須賀さんも内村さんも今は故人。

内村さんの「すごさ」を伝えることのできない駄文になってしまいましたが
ここに謹んで内村剛介さんのご冥福をお祈り申し上げます
by tiaokumura | 2009-01-31 20:02 | 追悼 | Comments(14)
Commented by 平名 at 2009-02-01 00:30 x
 ハルピンには 既に往かれましたか? 私は元中国は台湾と香港しか行った事は有りませんがターレン、北京、上海等憧れの地です。 それより今野球で有名な桑田真澄 早稲田の大学院に入ったとの事?! ー大学じゃなく大学院!!- 君も大学じゃなく富山の大学院じゃ駄目だったのかな?! 今は亡き美人!?の奥さんの意見立ったとわ云え厳しい?人生歩んでいますね??  健康第一? では厳しいから楽しさ第一お互い老後を生きていきましょう
Commented by 平名 at 2009-02-01 00:36 x
 異見立ったは、だったの誤り!! 「総理大臣ではあるまいし」って言葉は禁句ですよね!! 平和な国だから言える!!!
Commented by tiaokumura at 2009-02-01 18:40
平名さま、たびたびのコメントありがとうございます。
貴兄のコメント、ようわからんときもあって(核爆)。
ハルピンは行ったことありません。大連・瀋陽は行ったことあります。上海は貴兄同様、ぜひ訪れてみたい土地。
大学院というところは、大学卒じゃないと入れません。
話は変わるけど、先日×伯君(東工大出身)からTELがありました。今度塾を始めるそうです。
Commented by 哲ちゃん at 2009-02-03 19:56 x
内村剛介氏のご逝去,驚きました。ご冥福を祈るばかりです。
昨年,『ロング・インタビュー』を読んで,彼が「哈爾浜学院」で学ばれたことを知り,もう少し詳しくそこでの学生生活のことを知りたいと思っていました。『内村剛介著作集』第1巻に,そのあたりのことを書いた文章が収録されているようなので,いずれ買わなくちゃ・・・・と思っていたところに訃報が。そこで一昨日(2月1日),追悼の意味も込めて,第1巻を買ってきました。
僕の父も,昭和19年から1年間,哈爾浜学院でロシア語を学んでいます(父はそのときすでに26歳だった)。年譜によると,内村氏はすでに卒業している。
Commented by tiaokumura at 2009-02-03 20:21
哲ちゃん、コメントありがとう。
そうでしたか、哲ちゃんのお父上も哈爾浜学院だったんですか。内村さんのご逝去、僕とはまたレベルの異なる感慨を、哲ちゃんは持ったことでしょうね。
このブログの「明知、フェルメール展、ピカソ展2つ、哲ちゃん」の記事に恵雅堂出版の宮明正紀からコメントがいただけました。内村さんの訃報も、宮明さんがこのブログにコメントの形でご一報くださいました。出版人として哲ちゃんもご興味がもたれそうな方です、宮明さんは(僕はブログだけのお付き合い)。お父上のこともありますから、一度宮明さんにご連絡を取られたら。メール(コメントに書いてありました)はmiyaaki@keigado.co.jpです。僕の名前を出していただいてもかまいません。恵雅堂出版の社長さんも確か哈爾浜学院のご出身です。哈爾浜学院の同窓会は恵雅堂出版内に。ただし、会員が高齢化し今は解散。でも、いろんな話が聞けると思います。内村さんは同窓会の副会長だったそうです。(このあたり『ロングインタビュー』で知ってる情報かもしれませんね)
Commented by 宮明 at 2009-02-08 17:54 x
内村剛介氏についての追悼関係の記事、コメント拝読しました。氏のお通夜と告別式も無事終わり、「内村剛介ロングインタビュー」の陶山幾朗さんと、受付を手伝いました。
ところでコメントの哲ちゃん、ぜひ宮明までご連絡ください。実は私は恵雅堂出版の編集制作部の一員でありますが、ハルビン学院連絡所(同窓会は1999年に幕引き)の事務手伝いをしています。学院の名簿も私が管理していて、卒業生、遺族に年2回ほど会報も送付しています。ぜひ父上の名前をお知らせください。(長年、同窓会の存在を知らず、連絡不明の方があり、判明する人が時々います)遺族の方の氏名住所電話などを記録しています。毎年4月16日に、東京、高尾霊園にあるハルビン学院記念碑に会員、遺族が参集しています。(昨年は120名くらい出席、内村剛介氏も娘さんと一緒に参加)「ハルビン学院記念碑祭」というお祭りです。
内村剛介氏はこの学院記念碑に分骨しました。お骨を拾った後の食事会ではハルビン学院同期生、卒業生4名で「松花の流れ」という学院寮歌を歌って氏に手向けました。
  miyaaki@keigado.co.jp
 

Commented by tiaokumura at 2009-02-08 19:02
宮明さま、いつもコメントありがとうございました。受付のお手伝い、ご苦労様でした。
「哲ちゃん」(東京教育大以来の親友)にはTELで宮明さんのことを話しておきます。彼も出版人です。このブログが縁で新しい出会いが生まれるとしたら、ブロガーとして大いなる喜びです。
拙いブログですが、これからもよろしくお願い申し上げます。
Commented by 宮明 at 2009-03-28 23:59 x
奥村様
久しぶりに連絡します。実は4月16日にハルビン学院の卒業生やその御遺族が、東京、高尾霊園「ハルビン学院記念碑祭」に参集して親睦を深めます。1週間前にそのお知らせ会報を発送したのですが、「哲ちゃん」にも是非知らせたいのです。参加するしないは別にして、「哲ちゃん」のお父上が卒業生名簿にのっていて、住所が判明していれば会報が届いているはずですが(遺族にも送っている)もし届いていなければ不明扱いの方です。哈爾浜学院名簿の情報はしっかりしているので、お父上の名前が判ればこちらで調べる事ができます。
miyaaki@keigado.co.jp (会社)
miyamasa@iris.ocn.ne.jp (自宅)どちらでも構いません。
哲ちゃん様.......気軽に連絡下さい。宮明
恵雅堂出版の中に哈爾浜学院連絡所(同窓会)があり、私はその事務を手伝っています。
Commented by 哲ちゃん at 2009-03-29 07:10 x
宮明様,「哲ちゃん」です。
一度メールを差し上げねばと思いつつ,慌ただしく過ごしているうちに,失礼しておりました。別途,メールを書きます。
Commented by tiaokumura at 2009-03-30 20:26
宮明さま、お久しぶりです。お元気にお過ごしのことと思います。
哲ちゃんからメールがあったでしょうか。彼、とてもいい奴で義理堅い男なのですが、出版業がいそがしく、ついついお返事が遅れたのだと思います。宮明さんと哲ちゃん、きっと気が合うご同業になると思います。二人が出会えること、遥か^^富山の地で願っております。
ご多忙な日々をお過ごしのことと存じます。御身御大切に。
Commented by tiaokumura at 2009-03-30 20:30
哲ちゃん、お久しぶりです。こないだメール拝受。「数学」、急ぎません。奥様にご負担ないといいのですが・・・。
宮明さんとはご連絡とれましたか。2人が語り合う日が来れば、縁結び^^させていただいた身としてはとても嬉しい。
毎日忙しいでしょうが、お互い健康にも気をつけて過ごしましょう。GW、金沢で会えそうにない?
Commented by 哲ちゃん at 2009-03-31 13:24 x
宮明さんに連絡しました。ご心配をかけてしまい,申し訳ない。
すでに二三度,メールをやりとりしています。その詳細は別途メールにて報告します。
Commented by 宮明 at 2009-03-31 22:26 x
奥村様、おかげさまで哲ちゃんと連絡がとれました。哲ちゃんの父上の名前がハルビン学院の会員名簿に載っていました。哲ちゃんから詳しい報告があると思います。恵雅堂出版社長と同じ時期にハルビン学院にいたようです。これもこのブログのおかげです。ほんとうに有り難うございます。感謝いたします。
Commented by tiaokumura at 2009-04-01 07:52
哲ちゃん・宮明さま、どうやらお2人のお付き合いが始まったようで、仲人^^としてはとても嬉しい(爆)。年に何回か上京します。いつか機会があったら3人で飲みましょう! ただし割り勘でお願いします(激爆)。


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