JR新大久保駅でホームから落ちた男性を助けようとして、
関根史郎さん(当時47)・
李秀賢さん(イ・スヒョン Lee Soo Hyun。当時26)が亡くなられて今日
1月26日で8年になる。
あの当時、李さんの通っていた
赤門会日本語学校を中心に、李さんのご遺族を励ます文集を作ろうという動きがあり、私も応募した。その文集は、2001年5月1日、「(財)日本語教育振興協会・故李秀賢君を悼む会」編で
日本語学校の留学生・教職員から
故李秀賢君ご遺族への「励ましの言葉」
として刊行された。
人間は忘れる動物であり人の心は移ろいやすいが、関根さん・李さんの8回忌にあたり、以下、同文集中の拙文(
富山国際学院に当時在籍していた韓国人学生によって韓国語に翻訳されて併載)を昨年に続き再掲し、李さん・関根さんへの追悼の意を表したい。
李秀賢さんのご遺族の方へ
富山国際学院(日本語教師) 奥村隆信
李盛大様。人生において、などとあなたより7年年下の若輩者が申し上げるべきことではありませんが、人生においてわが子に先立たれることは何よりも哀しみの極みであります。ですが、ご子息の行動は数多くの日本人に深い感銘を与えました。日本語教育に携わる私もその一人です。あなた様のお父上を奪い、今また秀賢さんを奪った日本は、しかしながら唾棄すべき国ではなかったことだけでも、ご理解くださいませ。
辛閠賛様。「秀賢は英雄などでなくていい、どんな名誉も欲しくはない、わが子の将来を返せ」-そのようなお母上の悲痛な叫びが聞こえるようで、私のような者は発する言葉もありません。ですが、ご子息の崇高な精神は彼を歴史に埋没させることなく、第2第3・・・の李秀賢を、大韓民国からはもちろん日本からも輩出させることでしょう。ご子息が成し遂げようとした志は、形は違えてであれ、必ず実現します。秀賢さんのご冥福を祈りつつ、彼の夢を引き継ぐ若者たちに栄光あれと願うものであります。
妹さんへ。お兄さんのことを知った日、彼のホームページにアクセスしました。韓国語は解せぬ私には、ハングルで綴られたそれは皆目わかりませんでした。ですが、MTBで颯爽と疾走する彼の写真は、あなたにとって素晴らしい兄上であられたことを強く推察させました。と同時に、ご家族の期待が切断されたことの残酷さにも涙しました。どうかあなたが、お兄さんが学ばれた日本・お兄さんが学ばれた日本語に対して強い嫌悪感を抱かれませんように。今後は、お兄さまを誇りにご両親に孝行を尽くされ、そして、あなたご自身の夢の実現に向けてご精進ください。
李秀賢さんのご遺族の皆さま。拙い文章ではありますが、私の気持ちを綴らせていただきました。
合掌